指圧周辺  No.003
2001年12月
指圧師 木 村  浩


生老病死・・・

 私の父親は44歳で亡くなりました。その時私は小学生で、兄は中学生でした。今、

自分は死んだ父の歳を越えて45歳になりましたが、父の生きた時間を越えて、今ここに

生きていることが何かとても不思議な気がしています。自分がこの先どれだけ生きること

ができるのか?どんなふうに死をむかえるのか?きっと兄も同じ思いでいるにちがいあり

ません。

 ラジオが好きでよく聞きます。最近聞いた放送に気にかかるものがありました。

ある健康体操の考案者で指導者でもある人の指導を受け、何年も実践していた人がそれを

やめてしまった。という話しでした。理由は、その先生は日頃「自分は100歳までは必

ず生きる」と言っていたが、つい最近80歳で亡くなったのを見て、急に馬鹿らしくなっ

て、その健康体操をやめた。というものです。それを実践しても死んでしまう事がわかっ

て自分が信じていたその健康体操はウソだと気がついた。という事でした。それは笑い話

として紹介されました。

なにか違う、という感じをその時にもちました。生きていくうえで自分の健康に有益であ

ると感じたからこそ、その健康法を実践していたのではないでしょうか?


 人の一生は「生老病死」であると聞いた事があります。そのうちの「生」だけは、めでた

くて、プラスの意味としてとらえられています。残りの「老」、「病」、「死」はマイナス要因

としてとらえられています。「死」は人生最大のマイナス要因です。しかし、「老」を感じた

ときほど、若さの輝きに思い至るのではないでしょうか。体が何不自由なく動いている時

には、ついそのことの幸せを忘れてしまう。私もそうです。「病」のときほど、健康のあり

がたさを身にしみて感じることはありません。元気でいるあいだは健康のありがたみを、

つい忘れてしまう。私もそうです。

「死」んでしまったときほど、生きていることのありがたさ、生命の尊さを感じることは

ない・・・?

たいていの人は日々の生活のなかで死を意識することはありません。私もそうです。

しかし死をリアルに想像するとき、「生きる」ことを真摯に受け止めることができるかもし

れません。

 かつて死んだ事がある人はいません。であるからこそ「臨死体験」に人は興味をもつので

しょう。死は想像でしかない。しかし死んでいった人々を思うことはできます。

その人々を「思う」ことで自分が今、生きていることの不思議、ありがたさを感じることが

できるのではないでしょうか。「生老病死」はそのほとんどがマイナスの要因として感じら

れます。実は「生」も単純にプラス要因とは言えないかもしれません。しかしマイナスがな

ければプラスを感じることはない。


 日々の生活を送っていると、つい 「生きている」 ことを忘れてしまいます。

死んでいった人の「死」、自分自身の「死」に思いをめぐらすとき、 「生きる」 ことを

リアルに感じることができるかもしれません。



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