宗教と医学のあいだ
2002年10月
指圧師 木 村  浩


宗教と医学のあいだ 

 宗教よりずっと医学に近い、医学よりずっと宗教に近い、そしてその間をいったりきた

りする。指圧とはそのようなものではないかと思っています。


 人間の歴史のなかで、かつての宗教者は医療者としての役割も持っていたようです。(現

代においても、いくつかの新興宗教がそのことに関連した問題をおこしていることは説明す

るまでもありません)「医療」はもともとそのようなものとして出発しました。病の中にあ

る人にとっては、宗教の持つ「祈り」の力を感じることは必要なことだったのではないで

しょうか。時代は変わってもそのことに変わりはないでしょう。しかし医療は「科学として

の医学」として発展してきたことで、原点としての祈りについて時々忘れがちになることが

あるように感じるのは僕だけでしょうか。


 指圧は、宗教ではなく、そして科学万能主義の医学でもない、その間をいったりきたりす

る、そういうものではないかという気がするのです。


 指圧は、科学としての医療という点で大きな力を持っています。その実際的な効果は、筋

肉と関節の機能を回復させ、循環系を改善し、神経系にバランスをもたらす、物理療法とし

てたぐいまれな力をもち、そのことは予防医学としての大きな力も持っています。

そういった事と同時に、指圧は誰にでもできる、「触れる」、という行為が原点です。「触

れることが成立する信頼関係」のなかで始めて指圧の大きな力が発揮されます。それは、医

学よりもずっと宗教に近く、宗教よりはずっと医学に近い、そしてその間をいったりきたり

する・・・ ぼくは指圧をそのように感じているのです。科学が幅をきかせている時代に

あって、その価値はとても大きなものであると思うのです。


 正確には覚えていないのですが、医師で作家でもある日野原重明先生は、著作の中で次の

ような主旨のことを述べておられました。

 「 医療は科学と祈りを調和させた「アート」にならなければいけない 」

                               2002年10月


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