表現するということ 年末に昔の音楽仲間と久しぶりに会い、居酒屋で一杯やりながら音楽の話をした。その 流れで彼の行きつけのカラオケスナックなどという所に案内されて久しぶりに歌った。酔 った勢いもあり楽しかった。 ■ 表現するということは人の幸せと大きな関係がある 自分の指圧を受けてくださるプロの音楽家の方がいる。昨年はその方々の演奏を何度か 聞きに行った。自分の場合は半端な音楽との関わりであったが、人生をかけて音楽と向き 合っている方の演奏に涙を流した。 音楽は『身体に直接に働きかける力』を持つ。戦時には人を戦争へと駆り立てるために 軍歌という音楽の力を利用した。良くも悪くも、人の心も体をも動かす力を持つのが音楽 という芸術。素晴らしくもあり同時に恐ろしい力を持つ。 ステージで演奏する音楽家を見て思うのは、観客である自分は確かに感情を揺さぶられ て涙を流すのだが、いっとき音楽に夢中になっていた自分の経験から考えると、観客より も音楽で『自分を表現』しているステージ上の演奏者の喜びのほうがはるかに大きいのだ ろう、という事である。聴衆が多いほど音楽のエネルギーはより強くなりその力は演奏者 に力を与える。 音楽の経験は、『表現するということは人の幸せと大きな関係がある』という思いを自 分にもたらした。そうして音楽に限らず、自分が仕事をする時、それは自分の表現である、 と思うようになった。 音楽という表現は、人と人との間に何の媒介も経ずダイレクトに人に届ける表現で、そう いう意味では、今の自分の指圧という仕事も自分の表現がダイレクトに人の身体に伝わる、 という点で共通するものがあると思っている。それはやはり、恐ろしくもあり、また、素 晴らしい体験をもたらす可能性があるのである。 『表現することとシアワセには関係がある』というのが持論だが、どんな仕事にしても、 また遊びにしてもそれは自分の表現なのだろう。 それが勘違いだったり、スレ違ったり、回り道したりする事もあるけれども、少しだけそ んな事を意識して生きていければと。 2019年 元旦 この数年正月はいつも穏やか 初詣〜公園〜荒川土手をひとり歩く