4日運送屋3日指圧師
2003年 8月
指圧師 木 村  浩


4日運送屋3日指圧師 


 今現在の僕の日常は、週のうち4日間を運送業、3日間を指圧業という状態です。

1994年にサラリーマンをやめ、軽トラック運送業の自営業者となり、1997年40才の時

に運送業をしながら、後楽園にある故浪越徳治郎さんの学校に通いながら指圧の勉強をはじめま

した。運送業をしながら夜に勉強を続けた3年間は綱渡りをしているような感覚がずっとありま

したが、自分のやるべきことを見つけた、という充実感も同時にありました。それはともかく、

その頃から今まで指圧と運送という二足のワラジをはいています。

 将来的には指圧業を本業としていきたいという希望を持っているので、少しずつ指圧業の割合

を増やしていますが、人から、中途半端をやめて今すぐ指圧ひとすじにするべきだ、と言われる

ことがあります。しかし、一方の運送業のほうも実は大変気に入っている仕事なのです。


 サラリーマンとしての能力のなさを感じてそちらには見切りをつけたのですが、その際に、他

人との深い利害関係をもつような人間関係を二度ともたない。という決意をしました。ですから、

いわゆる会社組織への転職ではなく、自営業でかつ運転している時間は自分一人でいられる運送

という仕事を選んだのです。肉体労働をしたかった、ということもあって、この仕事は自分にピ

ッタリだったのです。もちろん最初からうまくいったという訳ではありませんが、車の運転とい

うリスクはあるにせよ、自分にとっては「健全」で「せいせい」したとてもよい仕事です。そし

てもう一つの仕事である指圧はといえば、運送とは逆に個人と個人の間で濃密な関係を結ぶ仕事

です。それはとても充実した、緊張をともないつつも気分のよい人間関係が成立する世界との出

会いでもありました。

 他人との深い人間関係を二度と持つつもりはなかった僕が、指圧という文字通り人との触れ合

いなしにはあり得ない行為に大きな意味を感じることで、人との関係を回復したのです。

そのチャンスを指圧によって与えられたことへの深い感謝と同時に、陳腐な表現で笑われるかも

しれないけれども、これに出会うために生まれてきた、とさえ感じています。

 人との関係を希薄にしたいと願って始めた運送屋、まったく逆に濃密な人間関係を持たざるを

えない指圧師、異なる二つの状態が人との関係とそして自分自身の「健全」を回復するためによ

い影響を与えてくれました。


 人と人との関係がうまくいかないことで、そのことを原因とした事件をニュースは毎日報じて

います。誰しも、人と人との関係をうまくつくれずに不幸を感じてしまうことに時々遭遇してし

まう。誰もが気持ちのよい人間関係のなかで生きていきたいと願っているにちがいない。しかし

なかなかうまくいかない。どんなに親しいと感じた関係でも、そうであればあるほどその関係は

「希薄さ」と「濃密さ」、「緊張」と「弛緩」のバランス感覚が必要であるように思うのです。


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 夜の電車の中で文庫本を読むのがえらくつらくなりました。

一抹のサミシサを感じながら、老眼鏡をかけることに・・・

科学のチカラ! カンゲキ! 科学技術に癒された・・・・・ アレッ?



                                  老眼鏡

                                2003年  8月



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