入学式とイラクでおきたこと
2004年 4月
指圧師 木 村 浩
入学式とイラクでおきたこと
僕はできるかぎり、組織への帰属なしに生きていきたいと考えています。
集団との関係はできるだけ希薄にしたい、サラリーマンをやめたときに、そういう意識を強くも
ちました。
経済的豊かさや、安定というものと引き換えに、自分の健全性、気分のよい生きていく時間を、
手に入れたと考えています。「何かを得るとき、何かが犠牲になる」、「何かを犠牲にして、何
かを得る」という認識を意識していきたい。健全性を保つために、リスクを受け入れて、組織、
集団とはできる限り、関係を持たずに生きていきたい、という気持ちがあります。
しかし無人島で、たったひとりで生きている訳ではないから、自分の住む地域や、国や、世界の
平和と無関係ではいられません。誰かが(それが個人であれ、組織であれ)自分の存在を支えて
いることは、確かなことです。
息子が進学し、その学校の入学式に出席しました。学校を支えているシステムと、そこで働い
ている人々が、熱意をもって取り組んでいる様子を感じました。子供たちが勉強できる場が確保
されているということは、平和であることの象徴です。国や組織、そのシステム、そこで一生懸
命に働いている人々に感謝せずにはいられない。そのシステムが正常に機能しますように、それ
が保障される平和な世の中でありますようにと、祈らずにはいられません。
今、集団に属していることのメリットを受けることなく、他の誰かのために働く人々が、国と
いう組織、集団に属している、とみなされて、生命の危険にさらされていることに、怒りを押さ
えることができません。何故、自分のメリットを考えずに、他の誰かのために働く人々が、命を
奪われようとしているのか、怒りと人間への不信でいっぱいです。
僕は生命が大切にされることを祈ります。そして、ちっぽけなことであるにしても、僕以外の
誰かのために、自分ができる事をしていきたい。
それが「いのち」を大切にし、世界を平和にすることに、直接に繋がるチカラになると信じてい
ます。
イラクで日本人が人質となった事件のおきた日に
2004年 4月
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