敷居が高い
2004年  6月
指圧師 木 村  浩


Tさんのこと 

 指圧を受けていただいたあと、Tさんはお父さんの話をしてくれました。

Tさんのお父さんは末期がんの告知を受け、その病院ではもう治療手段がないといわれたそう

です。息子であるTさんは、いろいろと悩み、お父さんと相談しながら、受け入れてもらえる

病院を調べ、ホリスティック医学に取り組む、川崎の帯津三敬病院にお世話になることにした

そうです。

ホリスティック医学とは西洋医学、東洋医学、気功体操、いろいろな民間療法などの多様な治

療法を総合的に取り入れた医療のことで、ここの院長の帯津良一さんは、もとは外科医として、

がん治療に関わり、その後ホリスティック医学の道に進んだ方です。その病院では、西洋医学

による治療、痛みのコントロール等に加え、気功や、食事療法、患者さんの調べてきた民間療

法なども否定せずに患者を支えていく、というもので、Tさんのお父さんは数ヵ月後に亡くな

るのですが、その病院にお世話になったことを心から喜んでいたそうです。

 さて、そのTさんのお父さんは生前、指圧が大好きだったそうです。お父さんの影響でTさ

んも指圧をうけるのが好きになり、自分の指圧体験をもとに見よう見まねで、亡くなる前によ

くお父さんに指圧をしてあげたそうです。「私の指圧を父は大変喜んでくれました」、そうT

さんは僕に語ってくれました。


敷居が高い 

 映画やニュースなど外国の映像をみていると、抱き合う、握手する、といった、肌と肌の触

れあうシーンをよく目にします。とても自然な感じです。日本人の場合は歴史的にみても、そ

ういった習慣はあまりないように感じますがどうでしょうか。もしかすると、身体への尊厳を

重んじるあまりに、軽々に他人へ触れる、という行為を、日本人の宗教、文化として、抑制し

てきたのではないか?などと考えたことがあります。民俗学や社会学を勉強すれば答えがある

かもしれません。いずれにせよ、「触れあう」ということに対して、「敷居が高い」感じがあ

るようです。赤ん坊を抱きしめる、ということはできても、少しずつ成長するにつれ、何か、

「テレ」のようなものが生まれてくるのかもしれません。触れあいが許されるている関係にも

関わらず、何か「テレ」があって「敷居が高い」ということがあるように思います。

僕の息子は高一ですが、頭の指圧をおばあちゃんにしてあげるのです。頭部への指圧は彼が小

学生のときに僕が教えたのです。このくらいの年頃になると、なかなか身内の者に対して、触

れる機会がまず少なくなると思いますが、指圧という技術の助けを得て、触れるということの

「敷居」を自然に越えることができるのです。孫に、大事に、丁寧に、頭の指圧を受けている

おばあちゃんは、本当に幸せそうに見えます。気持ちよくて、嬉しくて、おばあちゃんは孫へ

おこずかいをあげる口実をみつける。という話です。

Tさんも見よう見まねの指圧で、お父さんの体へ触れる、ということの敷居を自然に越えて、

愛を伝えたのだと思います。


 指圧は決してプロだけのものではありません。信頼関係をもつ者同士でそれが行われるとき、

単に物理療法としての行為を超えて、人と人が喜びあう体験を共有できるのです。Tさんが話

してくれたことは、そのことをあらためて確認できたうれしい出来事でした。



                                  2004年 6月



目次にもどる