健康以前
2005年   6月
指圧師 木 村  浩


元気な時には「元気はいいなあ!」と 

 小学校の低学年から高学年の頃は小児リウマチという病気で月に一回か二回は病院へ

行って診察と注射を打たねばならない子供でした。ですから親には大変な迷惑をかけま

した。体育の時間は微熱のために見学をしなければいけないこともたびたびでした。そ

のせいかどうか、「元気な時には「元気はいいなあ!」と思わないとソンだ」、という

ような、ちょっと子供らしくないヘンな事を考えていました。そして実際、元気な時に

は、ハッと思い出して、「今日は元気でいいなあ」なんて思うことが度々あったのです。

そんな時はちょっと得をしたような気持ちになったりしました。

 そんな事を思い出すと、タイムマシンに乗っていって子供である自分自身を抱きしめ

てやりたいような気持ちをおぼえます。と同時に、なんだか年寄りくさい子供だなあ、

と思ったりして、妙な気分で自分の子供時代を振り返ったりしています。


オートバイという相棒 

 10代の終わりから20代前半にかけて暇をみつけては、シュラフと共にオートバイ

で日本各地を一人でツーリングをしてきました。冷たい雨の中、人里離れた夜の山の中

で、相棒であるオートバイが今ここで故障したらどんなに心細いだろう・・・そんな事

を考えると、自分のオートバイが単純に機械としての「モノ」とはどうしても思えませ

んでした。であるからこそ、素人レベル以上の修理技術も身に付けたし、常にメンテナ

ンスを欠かすことなくその相棒を大切に扱いました。日本の美しい田舎の風景の中、ひ

とりオートバイで走りながら、ガソリンタンクを拳でコツンとやって、「ありがとう」

とつぶやいたのは一度や二度ではありません。


生活を支える「モノ」 

 48才になった今、週のうち4日間を運送屋としての日々を送っていますが、必ずや

っていることがあります。仕事の朝一番にエンジンをかけるときには「お願いします」、

夕刻に仕事を終えてエンジンを切るときには「お疲れさん」と車のボディをコツンとや

って、つぶやいています。

 車の機械的トラブルを未然に防ぐには、エンジンや車体の発する異常な音や、振動と

いった異変を敏感に察知する事が必要です。それが大きなトラブルを事前に防ぐ事は間

違いない、しかしそういった細心の注意を払っていても、故障を100%完全に防ぐこ

とはできません。まして車に語りかけれさえすれば、毎月毎月3千キロ以上をノントラ

ブルで走り続ける事が出来る筈もない。しかし自分の生活を支えてくれている車に、

「お願いします」、「お疲れさん」と声をかけることで、単に機械であり「モノ」とし

ての車が応えてくれるような気がするのです。


足を洗う 

 作家の五木寛之さんの書かれていたものに、自宅に戻ったらまず風呂場にいき、一本

一本の足の指に「ご苦労さん」と語りかけながら足を洗う、という話がありました。五

木さんは次のように書いておられます。

 ぼくは以前から、体の中心部よりも縁辺部が大切という考えかたを大事にしてきまし

た。要するに末端が大事、という発想です。

 都市中心、東京中心の日本文化論が横行していますが、この国がいきいきと活性化す

るためには、地方と呼ばれる末端が元気でなければ駄目なのであって、体についても、

心臓とか脳とか内臓などの中心部は、たしかに重要なのはわかっていますが、中心部だ

けを考えても、手先、足もと、指先などの末端の毛細血管のことを忘れては困るので

す・・・(幻冬舎文庫 大河の一滴)

 ぼくの理想とする全身指圧の基本的な考え方と重なりあうところです。それはともか

く、ときどきですがぼくも真似しています。家に帰ってまず最初に足を洗うというのは

なんだかとても気持ちがイイ、風呂に入るのとは違いますが、それに近い感覚がある、

精神的にもなにか清々した気持ちになります。自分を支えてくれている存在なのに、普

段は見向きもされない足に、「ご苦労さん」という気持ちをこめて、指の一本一本をて

いねいに洗います。


言葉で体をキレイにする・・・? 

 以前、水についての興味深い本を人から借りて読んだことがあります。(すみません、

本の名前を忘れてしまいました)

 水に、良い音楽をきかせたり、美しい言葉を書いた紙を見せておくと、美しい結晶が

できる、それをできるだけ科学的な手法で再現して、その結晶映像を撮影したというも

のです。その論文は海外でも大きな反響を呼んだということですが、日本でも話題にな

りましたからご存知の方も多いことでしょう。今後、科学として広く認知されるかどう

かは分からないですが、とても興味深く読みました。そしてこんなことを考えました。

 もし、水に美しい言葉を聞かせてキレイな良い水になるのであれば、人間は70%が

水で構成されているのだから、その体に「ありがとう」、「ご苦労さん」という言葉を

伝えれば、人間の体はキレイになるのではないか?仮に科学常識として確立されなくて

も、お金もかからず、リスキーなことは何もないはず、であれば思い立ったときにそれ

をやっても、何も悪いことはないに違いない・・・そんな事を考えてから、時々自分の

体に手をまわして「ありがとう」、「ご苦労さん」といった言葉を声を出して言ってい

ます。そうするとその声が体の中に振動として響くのがハッキリと感じられます。また、

膝が痛い時には、膝をさすりながらそれをやります。人から見るとちょっとヘンに思わ

れるのは間違いないので、自分一人きりの場所でこれをやるのですが、これがとても気

持ちイイ。毎日やっている訳ではなく、一日に一回であったり、月に一回であったり、

ちょっと疲れを感じたりする時にやるのです。もちろん、それをやりさえすれば全ての

問題が解決する筈もありません。しかし、そうすることで自分という存在を支えてくれ

ている体が応えてくれるような気がするのです。


健康以前 

 どうすれば健康を手に入れることができるのか?

 人生を生きていく中で出会う、思いもよらぬ様々な出来事や、生まれた時代や環境、

仕事や家庭での人間関係、受け継いだ遺伝子などが複雑に絡み合い、相互に影響しあっ

ているものが健康ではないか。科学や社会システムがどれほど発達しても、それらを意

のままにコントロールする事は難しい。だからせめて、「おもいっきりテレビ」を見て

健康法といわれるものの一つや二つを身に付けてナントカ生きていこうとする。それは

それできっとなにかの役には立つに違いない。しかし、健康法の前に人間の身体を、自

分自身の体を、最も大切なものとして認識することが前提としてあるべきではないか。

仮に、そうする事が、健康、健全、長寿を保障するものではないにしても、僕は、こん

な愚か者の自分に付き合ってくれている体に、「ありがとう」とつぶやきたいと思うの

です。
                            2005年  6月


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