日 記
2005年   9月9日
指圧師 木 村  浩


日 記   2005年 9月9日 金曜日  
 

 昨日の運送の仕事はキツかった。荷量が多かったから3トン車(借り物)を使った。

いつもは1トンのワンボックス車(自前)だから、車を転(ころ)がしているぶんには

運転席がいつもより高いから見晴らしはいいけれども、荷量が多ければやっぱりちょっ

と疲れる。

 今日金曜日は指圧業の日、運送業と指圧業が日ごとにクルクル変わる。我ながら面白

い人生。しかし本日は予約が入らず、開店休業になってしまった。指圧を受けてくれる

方がいなければ、「僕は指圧師です」 などと公言することはできない。仕事というも

のは忙しくても文句が出るが、なければサミシイ、ミジメ。 人生はうまいこといかな

い。 もっとも、うまくいっていない人生は僕だけかもしれないが・・・ ま、深く考

えずに(少しは深く考えろ!という声も頭の中の遠い所から聞こえてくるが)、現実を

受け入れるしかない。


 予約が入らなかったおかげで、僕ら一家の住むアパートの台所の換気扇を交換する工

事に朝から立ち会うことになった。このアパートの建設時の電気工事がいいかげんなも

ので、換気扇もそのひとつ。いっさいのメンテナンスができない構造になっていた。だ

から油汚れはつきほうだい。おそるべき事態にたちいたっていたが、大家さんのはから

いで換気扇が交換されることになった。 その工事をしてくれることになった電機屋さ

ん(もう40年も電気設備工事をやってきたという)の仕事を見ながら、その方と色々

な話をした。僕が運送と指圧の仕事をしていることや、なんでも資格さえあればオー

ケーという訳にはいかないね、やっぱり修行しないとだめだとか、最近の景気はどうか

とか、いつまでも自民党政治で本当にいいのかとか、腰から足にかけての痛みはどうし

てかとか、色々。「指圧という一生やっていける仕事があっていいねえ」といってもら

った。ちょっと嬉しかった。


 その方はもうすぐ70になるという。奥さんはうつ病で、たまに医者に行くくらいで、

いっさい外出ができないらしい、独立した子供にも会いたくなく、自殺を図ったことも

あるとのこと、その電機屋さんが食事の支度から洗濯、家事全てをやっているという。

その方が言うのには、「人間は、金があればいいってもんじゃないね、金はそこそこで

も一生懸命にやって、一生懸命に生きている時が一番いい」、そう僕に語ってくれた。

望んでそうなっているワケではないが、現在の僕は(つまりは我が家は)そういう状態

になっていることは間違いない。



 今日は仕事がなく情けない一日だったが、ヒマであればこその、心に残る「出会い」

があった一日だった。



 だから、「 たまには仕事がなくてもいいのだ! 」 と僕は言う。

 しかし、「 ものには限度! 」 とカミサンは言うのである。


                     2005年 9月 9日 金曜日


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