仕事とはなにか?
2006年   4月
指圧師 木 村  浩


 仕事を二つもっている。あいかわらずの運送と指圧の日々。運送の仕事をしながら夜

は浪越徳治郎さんの指圧学校に通いだした日から10年が経った。卒業して二つの職業

をもつようになってからは一週間のうち四日を運送屋、三日を指圧師という毎日を続け

ている。


仕事とはなにか?

 最近29才のフリーターをしている青年と友達になった。体がよく動き、まじめで、

一生懸命で、仕事のできる、やさしくて気分のイイ青年。一緒に住んでいる彼女と、田

舎である茨城に仕事を見つけて帰りたいが、田舎は大都会のように仕事がなく、なかな

か思い通りにいかない。と言う。努力が報われる社会にする、と政治家は言うが、現実

は努力のキッカケをつかむことさえ難しくなっているのではないか。勝ち組みが生き残

り、負け組みが取り残される社会が努力が報われる社会か。勝ち組みでもなく、負け組

みでもない人間が安心してささやかに生きていける社会のほうがいい社会だと僕は思う。

それはともかくとして、僕はその彼に「とにかく仕事があることが大事だ。いろいろな

事情があるだろうが、田舎に仕事がなければ、東京で落ち着いて取り組める仕事に就く、

という事も選択肢に入れておいた方がいいよ」と話をした。

 考えてみればサラリーマンを辞めてからこの間、僕も彼と同じフリーターという立場

となんら変わりはない。だからフリーターなどしていてはいけない、などとはとても言

えない。明日は仕事がないかもしれない、という毎日をずっと続けている。いってみれ

ばその日暮らしの日々。自分がいかに努力しても、仕事がなければそれだけのこと。無

職と同じで、その事を考えるといろいろなことが本当にありがたい。もちろん自分なり

の努力はしてきたし、これからも頑張るのだ、という自覚はある。しかしやはり自らの

努力とは無縁のところの力によって生かされている、というのが本当のところに思える。

極端に言えば、戦時中であれば、生きがいのもてる仕事をもつのだ、などとは言ってら

れないだろう。時代の中では一人の人間はちっぽけな存在にすぎない。自分の努力で全

てを解決していく事はできないのである。(だから、選挙にいこう!)


 若い人達に向けて、「 生きがいのもてる、自分の好きな事を仕事にしなさい 」と

いう言葉をよく聞く。まちがいなくそれはいいことだし、そこを目指すことが、生きて

頑張る張りあいになる。しかし、優先順位というものがあるだろう。まずは、生きてい

くこと、メシを食っていくこと、それが第一の優先順位。好きな仕事を得ることは優先

順位でいえば二番目もしくはそれ以下ということだろう。とにかくメシを食っていく!

それが大事だ。

 そこで自分のことを考える。サラリーマンを辞める時に、「食うために鬱屈した気分

を抱えなければならないのなら、これからはカスミを食って生きていきたい」と本気で

願った。食っていくための仕事より、気分のイイ仕事・人生をもとめた。要するにまっ

とうな優先順位を勘違いして逆転させてしまった。しかし、たまたま偶然に気分のイイ

仕事を得た、そしてそれは不安定な仕事であった。その経験により、「不安定とのセッ

ト」で健全を手に入れたという思いを強く持つことになった。「安定」と「気分のイイ

人生」とは、自分の場合には両立しないという思い込みは今でも持っている。だから経

済的不安は仕方がないと受け入れている。(もちろんなんとかしたい)

 退職した時に息子は小学生になったばかりだった。どう考えても父親として立派な決

断をした訳ではない。先の「見通し」を失い、カミサンは本当に不安だったろう。しか

し家族よりも自分のほうが大事だという思いを意図的に強くもった。それでなければそ

んな無謀をしなかったにちがいない。(自分を大切にせずに他の誰かを大切に扱える

か?)そんな自分の勝手を今でも後悔はしていない。だから自分は理想的なオヤジでは

ないことは認めている。だからどうという話でもないが、そんな自分を認めて支えてく

れたカミサンには本当に感謝している。(それで常日頃カミサンには指圧で恩返しをし

ている・・・それが本当に恩返しになっているか?)


 生きてメシを食っていくためにあるのが仕事であるならば、地べたを這いずりまわっ

て(これが心地よい)稼ぐ運送屋が、僕と家族の命をつなでいる本当の仕事であるとい

えるだろう。生きがいのもてる好きなものが仕事であるべきならば、人と人との関係に

おいて喜びを共有(これにより幸せを得た)する指圧というものが、天から与えられた

僕の仕事にちがいない。だから今の僕は、今生きていくための仕事と、一生を通じて取

り組むべき仕事の間をいったりきたりしている。それは良く言えば人生を二回生きてい

るような楽しさであり、悪く言えばドッチツカズのいいかげんさでもある。しかし自分

の中では、文字通り地べたを這いずりまわりながら、不安を抱えながら、それでも生き

生きと生きていけることを証明することは今の僕の大きな仕事なのだと認識している。





               カッコよすぎるかしらん?   2006年 4月


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