桜
2006年 4月
指圧師 木 村 浩
すべての道には桜が存在している!
この季節に車を転がしていると日本は桜の国だなあとつくづく感じる。桜が世界を支
配しているような感じさえする。
つぼみを抱え始めたナそろそろくるぞ、と思っているうちにあっという間にぶわんと満
開になり、ゆっくり花見をしたいなア、なんて思っているうちにいつも冷たい雨が降る、
いつも突然の強風の日がある、こちらがぼうっとしてる間にいつのまにか散ってしまう。
視界に桜の木を認めない道を走っていても、どこからか桜の花びらがフロントウインド
ウに舞ってくる。しかしすぐにピークは過ぎて、あっという間に桜並木は文字通りの花
吹雪、その中を車で走り抜けるのは夢のような平衡感覚さえも失うような幻想世界。
運送業をするようになってから、桜には説明のつきにくい不思議な感覚を漠然と覚え
るようになった。それが何故かを特に考えぬままにいたが、詩人で長唄のお師匠さんで
もある義姉と話をしていた時に「桜の下には死体が埋まっているのだ」という話がでて、
そのことを考えていたらどういう訳か、そうか「時間感覚」だと思い至った。
毎年この時期に、つい先日通った道が満開の桜のトンネルになっていたり、前回通った
時にはつぼみさえつけていなかった桜並木がすでに花吹雪の世界になっていたりする中
を走り抜ける、という経験を何年も繰り返してきた。
ごく短い「限定された時」の中で桜は生まれ、冷たい雨や強風に吹かれ、そして消え去
っていく。それを車を転がしながら毎年毎年繰り返し見続けたことで僕の時間感覚(た
ぶんそれは「生き死に」に関わる時間の感覚)を迷わせもしくは不安がらせ、桜に説明
のつかない不思議な感覚を印象づけたのかもしれない。
花見と称して桜の下で宴会を繰りひろげるのは、この短い時の中で自分たちも生きて
いるのだ、ということを確認したいがためだったりするんだろうか。
中野、哲学堂付近 満開のトンネル!
花も良いけど、その後のまぶしい若葉に安堵する・・・ 2006年 4月
目次にもどる