「修理」される身体の未来
2006年   7月
指圧師 木 村  浩


 近所の歯科医院でちょっとした虫歯の治療をしてもらいました。その治療中にふと思

いついてその歯医者さんと少し話をしました。

『 歯の治療には「修理」というイメージがありますね、叩いたり、削ったり、くっつ

けたり、埋め込んだりする作業が機械の修理を連想させるのかなあ 』 というと、

『 歯は硬いものですからそういう作業に必然的になるし、そのことが機械修理のよう

に錯覚させるのかもしれないですね、そんなイメージをもたれている人は多いかもしれ

ません 』というような話をしてくれました。




 サイボーグ技術の現在

 少し前にサイボーグ(SF映画や漫画によくでてくるあれです)技術の現状を紹介し

たNHKの番組があり、作家で東大の先生もされている立花隆さんがレポートしていま

した。大変に衝撃的な番組で、その番組の放映後も立花さんが東大でもたれているゼミ

のホームページでサイボーグ技術に関するレポートが継続的に書かれているので注目し

ています。サイボーグ技術とは進化した脳神経科学と工学が合体したものですが事例を

簡潔に紹介します。


麻痺と痙攣から開放される:

 パーキンソン病は脳の病気で、手足が勝手にふるえ、顔の表情もなくなってしまう。

その患者の脳のある部分に電極を埋め込み、恒常的に電流をながすことで症状を抑えこ

む。痙攣と顔の無表情が装置のスイッチを入れるとみるみるうちに普通になっていった。

そうして日常と社会生活を取り戻すことができる。(アメリカでも日本でもすでに保険

が適用されているそうです。)


光を取り戻す:

 カナダの視力を失った若い父親は、サングラスにセットされた小さなカメラからのび

る出力コードをドライバーを使って自分の「後頭部に埋め込んだ接続端子」につなぎ脳

に直接画像を送り込む事で、ぼんやりとだが光を取り戻すことができ、幼い自分の娘の

顔を「見る」ことができる。


腕を取り戻す:

 テネシー州の男性は、感電事故で両腕を失った。肩のところから腕にいくはずだった

神経から電気信号(筋電信号)を取り出し、それをモーターで動くアームに接続してあ

る。脳からの信号を使ってコントロールしているのだから、考えただけで動く「人工の

腕」を手に入れたことになる。スターウオーズでルークスカイウオーカーが装着した精

密機械と電子回路基盤で構成されたそれにそっくりな「手」だった。


戦争を「安全」に行う:

 アメリカの国防総省はこれらの技術開発に巨額の研究資金を投入している。手足の力

を10倍にするパワースーツ、聴覚や視力を格段に向上させた強力な兵士、戦闘機や戦

車などのカメラ映像を通信を使って遠く離れた兵士の脳に直接に送り込んで兵器をコン

トロールすることで戦争を「安全」に行うなどといった研究。その研究チームのブロン

ド美人の軍の医学博士は、この技術で多くの味方の兵士を「救う」ことが出来ると、満

面の笑顔で語っていた。(そんなにウレシイのかアンタは!? 僕はおもわずつぶやい

た)


 この番組を見た多くの人がぼくと同じように複雑な思いを感じたに違いありません。

SF映画の中にある夢物語が現実に起こっているのです。それは待ち望んでいた希望の

夢なのか? それとも不安を駆り立てる悪夢なのか?・・・



 サイボーグ技術は遺伝子操作や臓器移植(より使い勝手のよい人工臓器の登場までの

つなぎの方策である、との考え方があります)に付随する政府や医学界のブレーキ装置

は今のところ存在していません。なにしろこの技術は、「倫理」や「宗教」の影響から

遠いところにある「工学」なのですから。

 僕らは歯の治療をはじめとする「修理」をあたりまえのように受け入れてきました。

考えてみれば歯科治療はサイボーグ技術の出発点かもしれません。そして今、科学は身

体のあらゆる部分をサイボーグ化する技術を手に入れつつあります。人間は虫歯治療と

いう<ピン>から全身サイボーグという<キリ>までの間にここから先は不要だとする

一線を引くのでしょうか?

立花隆さんは、サイボーグ技術は脳の取り扱いの問題であり、脳には「人格脳」の部分

と「身体脳」の部分と、明確にちがう二つの部分がある。人格脳にメスを入れることは

通常許されるべきではないが、身体脳に対しては、医工学技術の対象にしてさしつかえ

ないと考えている。と書いておられますが、これはSF作家や一部の研究者だけの問題

でなく、普通の人々である僕ら自身に突き付けられたテーマとしてすでに存在していま

す。




 人間は生き続けたほうがいいのか?それとも死んでいく存在であったほうがいいの

か? 哲学者でもなく宗教家でもない僕らがそれをリアルに問われていると言っても言

い過ぎではないような気がするのです。そして、悩んでいる間にも科学技術は僕らの視

界を越えた先でさらに加速しながら突き進んでいます。

 僕らはややこしい時代に生きている、そう感じるのは僕だけでしょうか?


     ちょっと「カタイ」話になりました・・・      2006 7月




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