大切なものに気がつく
2008年 11月
指圧師 木 村 浩
運送の仕事は肉体労働。体がその荷を「持ち運ぶ」ことができなければ仕事をやめ
なくてはなりません。1トンのトラックに荷を積み、そして降ろすという作業はつご
う1回の仕事で2トンの荷物を自分の肉体を使って移動させる仕事です。
肉体労働というものは非常にシンプルな仕事であって、そのこと自体は清々した仕事
で自分には向いているのですが、以前よりは体がキツイと感じるようになりました。
仕事があるうちは続けると思うのですが、はたして実際のところ何歳まで続けられる
のだろうか。と考えることがあります。
老眼鏡の度数も上がってきました。そんな体の限界を自覚するようになってから、体
の自由がきかなくなるということは、ひょっとして、人が成長するということではな
いか? というようなことを考えることがあります。
指圧の仕事をしていても同じようなことを感じるのです。
指圧を受けにきていただく人の多くは、多かれ少なかれ体の不自由を感じている人々
です。その方々に聞いてみると例外なくおっしゃるのが、体に何の問題もないことが
当たり前の事だったのに、体のどこかに一つでも痛いところが現れると、痛みがない
当たり前の体であることが本当に幸せなことなんだと気がつく。と言うのです。
以前は当たり前に意のままに動く体は当然の事だった。しかし、それが叶わないこと
だと知った時、不自由のない体というものが、さらに言えば自分の健康というものが、
なんといっても一番大切なものなのだと気がつくと言うのです。
大切なものを「自分で持って」いたのに、それに気がつかずにいたのが、体の問題
に直面した時に初めてその代えがたい大切さに気がつく。
運送の仕事で、いつまでこんな重い荷を持つことができるのか、と自分が感じたとき、
その不安のつまりは、自分の限界を知る、という事ではないかと考えました。そして
そのことが一人前の人間に近づく、というようにもいえないか?
体の不自由はもちろん克服すべき対象ではあるけれども、それをいっさい感じずに人
生を生きることは不可能に近い。否応なく訪れる衰えや不自由の自覚が、人として成
熟していくための過程のひとつでもあるかもしれない・・・
荷を運びながら、そんなことを考えている今日この頃。
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このところの世界規模の金融危機による景気悪化で自分の仕事もこの先どうなるの
か不透明を感じています。
ニュースは「金融危機が実体経済に影響を与えています」という。それを聞くたびに、
何故、実体としての汗をかいて働く我々の経済、生活が「金コロガシ」という実体の
ないオバケのようなものにもてあそばれるのか。と腹が立つ。
現代社会の構造がそうなっているのだろうが、「頭」のなかの妄想が「体」をムシバ
んでいるように思えてならないのである。
2008年 11月
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