リアリティ
2009年  1月
指圧師 木 村  浩



 毎年、正月2日の朝は荒川の土手をランニングし、その足で近くの銭湯の初風呂に

入らせていただく。

今年も脱衣場のテレビで、知らぬ者どうしが裸で箱根駅伝をともに見た。

多分もう10年くらい正月2日はそんな過ごし方。

仕事の状況、体の健康、家内の安全、社会の安定・・・次の正月もまた同じように過

ごすことが出来るだろうか。



 派遣労働者や期間雇用で働く人達の解雇の嵐が吹き荒れたそんな年末年始のニュー

スの中で、おめでたい気分に浸ることなく正月は過ぎてしまった。

間違いなくイケイケの時代は終わったのだと唐突に突きつけられ、質素でもいい、平

和で安定した生き方がしたい、と多くの人が思いはじめた?そして問題はますます深

刻になるだろう。とニュースは言う。勿論、他人事ではない。


 年末は久しぶりにNHKの紅白歌合戦をちゃんと見ていた。例年になく高視聴率だ

ったらしい。不安の時代の中、人々は今この瞬間、多くの人が同じ歌に耳を傾け、同

じように口ずさんでいると思いたかったのではないだろうか。それを共感とか共有と

か言うのだろう。自分は決して一人ではないと。





 多くの人と同じように自分にも不安があり、その不安は取り除きたいけれども、そ

れによって「生きるということ」にリアリティを与えられている。とも思ったりする。

生きていくのは大変なことなのだ、と

だとすると、その不安はそんなに悪いばかりではない? そんなことをカミサン

と話し、共感、共有した次第。


                             2009年 1月



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