般若心経 


 もう三年くらいになるだろうか、
時々、般若心経を読んでいる。
誰もいない、一人でいるときに。
だから誰もしらない。
ただ、ルビに従って声をだすだけ。

 般若心経を身に付けることで、
「何か」が見えるのではないか?
という得体の知れない気配を感じるのは自分だけか。
その何かとは、おそらく、「悟り」というものであろうかと。

 同じ人生でも、ブツクサ文句を言いながら生きる人生と、
悟りを得て生きる人生とでは、ずいぶんと様子が違うのではないか。
般若心経にはそんな魔法があるのではないか?
そんな気配を根拠なく感じたりする。
大きな誤解だったりして。


 般若心経は、いろいろな人が、いろいろな解釈を書いている。
記憶に残ったのは、「苦しみというものは無い、また、苦しみというものが無くなるということ
もない、全ては無である」という解釈の一節。
とどのつまり、やっぱり苦しみは無くならない? ああややこしい。

 ともかく、もう少しで丸暗記できそう。
そんなヒマがあったらほかに何かやることがあるだろう。とも思ったりするが・・・
「悟り」いまだ降臨せず。
あたりまえか。
百万遍唱えれば何かがみえる?
さあどうだろうか。




 お経というものには、お葬式や法事の時くらいにしか出合うことはない。
しかし、お経には、般若心経だけでなく、いろいろなお経があることは何となく知っていた。

以下 伊藤比呂美さんの、読み書き「般若心経」朝日新聞出版 より

※偈(ゲ)とは、<梵gDthDの音訳)仏語。経典中で、詩句の形式をとり、仏徳の賛嘆や教理を
述べたものKokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988/
国語大辞典(新装版)小学館 1988 より>

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「 日没無常偈(ニチモツムジョウゲ) 」

もろもろの衆等聴け(モロモロノシュトウキケ)
日没の無常の偈を説かん(ニチモツノムジョウノゲヲトカン)
人間怱々として衆務を営み、(ニンゲンソウソウトシテシュムヲイトナミ)
年命の日夜に去ることを覚えず(ネンミョウノニチヤニサルコトヲオボエズ)
灯の風中にありて滅すること期しがたきがごとし(トモシビノフウチュウニアリテメッスルコトゴシガタキガゴトシ)
忙々たる六道に定趣なし(モウモウタルロクドウニジョウシュナシ)
いまだ解脱して苦海を出ずることを得ず(イマダゲダツシテクカイヲイズルコトヲエズ)
いかんが安然として驚懼せざらん(イカンガアンネントシテキョウクセザラン)
おのおの聞け(オノオノキケ)
強健有力の時(ゴウゴンウリキノトキ)
自策自励して常住を求めよ(ジシャクジレイシテジョウジュウヲモトメヨ)



伊藤比呂美さんの訳

これを聞け。
日没の無常の偈だ。
人はあくせくと日々をいとなみ。
いつか来る死について考えない。
風に揺れるともしびのように
はかない命である。
死に変わり生き変わりつながっていく縁である。
まださとらないのか。
苦しみから逃れられないのか。
どうしてそんなに安穏としていられるのか。
おそれはないのか。
これを聞け。
強くて健康で気力のみなぎるいまのうちに
死について考えておけ。

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 もうひとつ

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七仏通戒偈(シチブツツウカイゲ)

諸悪莫作(ショアクマクサ)
緒善奉行(ショゼンブギョウ)
自浄其意(ジジョウゴイ)
是諸仏教(ゼショブッキョウ)



伊藤比呂美さんの訳

わるいことをするな
よいことをしなさい
きよいこころをもちなさい
これがほとけのおしえだよ

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 おまけ

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無常偈(ムジョウゲ)

諸行無常(ショギョウムジョウ)
是生滅法(ゼショウメッポウ)
生滅滅己(ショウメツメッチ)
寂滅為楽 (ジャクメツイラク)



伊藤比呂美さんの訳

常なるものは何もありません
生きて滅びるさだめであります
生きぬいて、滅びはて
生きるも滅ぶもないところに
わたくしはおちつきます

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ほんの一部、
お経というものは、まだまだ、いっぱいあるようです。
お葬式の「形式」を教えるものでなく、
生きていくときのためのもののようです。



 おそらく、自分は仏教徒なのであろうと
                    2010年 8月



 突然ですが、次回「イカげそのワタいため」の作り方書きます。ウマイんです。
般若心経より役にたつ?

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