母の死 


 日本人が長く忘れる事のない大震災の日に、母が急死した

本当に元気な人であったから、ピンピンコロリといえるだろう

それが理想的なアッチへの行き方だとずっと思っていた、にも関わらず、

自分の母親とは、ある時を境にして、心の準備をお互いにしながら別れがくるものだと、

なんの根拠もないことを、漠然と考えていた

いい年をして、何もわかっていなかった愚かな自分でしかない

父親を若くして亡くし、2人の子供を一人で育てた母

母が世界でもっとも、自分達を愛し続けた人だったことを、失って初めて気がついた

ありがとう、と、ごめんなさい、を言わなかったことを、失って初めて気がついた

死亡を伝えられた病院の救急治療室で、遺体にすがり、ありがとう、と、ごめんなさい、を、

すでに手遅れの言葉を、繰り返し叫び、大声で泣いた

通夜の晩に、叔父から「その後悔は、お母さんにもらった宿題だ」と言われた

その後悔を正当化することはできないけれども

愚かな自分が、愚かなりに、変わらなければ、死んでくれた母親に申し訳ない



 自分の死を受け入れるための、大きな力を母がくれた

死の入り口では、すでに逝った者に逢う、という、そうであって欲しい、

その時、手遅れになった言葉を伝え、自分の人生につじつま合わせをしたい

それは切実な願いとして今ある



 宿題に正解を書き入れることができる人生を送りたい
	    	     			  	2011年 5月



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