体の不調で思うこと 




 8月から10月にかけて体調を崩し病院で二回の点滴を受け、ようやく復調しかけた頃に足の

指を骨折し、フラフラ、ヨロヨロと過ごした。そんなわけで何日か仕事に穴をあけた。

点滴をしなくてはいけないほど体調をくずしたのは初めての経験で、自分の体が少し変化したよ

うに感じている。その変化をわかりやすくいえば、若い頃のイケイケドンドンはすでに失せてい

る、という自覚。50代半ばをむかえたのだからそれは普通のことか

もちろん、枯れた悟りを得た筈もないが、嬉しいとか、楽しいとか、どこかに行きたいとか、そ

んな日常に対しての意欲というものが小さくなったのを感じる。それとも今現在の自分の体調が

やはり回復していないのかもしれない。それにしても、生きていくということは、とどのつまり

は体のことである、とますます確信するのである

世の中には大きな体の問題を抱えながらたくましく輝いて生きている方もおおぜいいる、自分ご

とき凡人が同じ様に出来る自信はないが、どちらにしても気持ちよく生きていくには、体という

ものをどのようにとらえるのか、ということが大きな問題であることには間違いないのだろうと

思うのである



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 父親の生きた時間を越えてまだ自分が生きている、ということはいつも頭の片隅にあり、その

不思議をいつも思うようにしています。もちろん、いつでも死ぬ準備ができている筈も有りませ

ん。しかし、それをしっかりと受け止める事ができれば、もっと自分の人生を充実させることが

できるのではないかと思ったりするのです

戦国時代の武将石田光成は、切腹をする前日に干し柿をすすめられて、「柿は体を冷やすから」

と言って断ったという

 作家の五木寛之さんは、死なないようにするのが「健康法」、死ぬと知っていてするのが、

「養生法」だといっています

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   死ぬと分かっていて(だからこそ)、最後まで大切にする自分の体
                                                                 2011年 10月


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