車を持たない(持てない)わけ



 あれほど好きだったオートバイを所有しない生活になってから20年くらいだろうか。

運送屋家業から身を引いたことをきっかけにして車を所有しない生活は3年が経過した。

車は二十歳の頃から乗っていた。その付き合いの後半は、運送屋という商売上必須であったから

だが、33年間もの間ずっと車を所有していたことになる。

3年前に車を(最後の車は乗用車ではなく1トンの貨物車であったが)手放した時は、自由な移

動と運搬手段をなくしたことに、情けないような淋しいような感情をしばらくは感じていた。

その最後に乗っていたニッサンの1トンの貨物車は気に入っていたし、仕事とはいえ、一人で車

をコロガシている時間というものが嫌いではなかった。

                   
       <こいつをコロガシて仕事をしていた>


 運送の仕事から手を引いても、指圧というもう一つの仕事を持っていたから収入をまるきり失

ったわけではなかった。しかし、指圧の稼ぎだけで車を維持するために駐車場・保険・燃料・修

理・車検などの維持費を捻出することを考えると早晩生活が立ち行かなくなることは明らかであ

ったから、運送の仕事を辞めてから早々に処分した。

その後指圧の仕事をするのに、できれば車があったほうが都合がよいことも多々あったが、なけ

ればないという前提で、電車、バス、自転車で事足りるような仕事になっていった。それは仕事

と生活の場が交通網の発達した都市にある、という事に助けられているのだが、歩く事と自転車

に乗る事が自分の移動手段になったことにすっかり慣れてしまった。それどころか車を所有せぬ

生活に何ともいえない軽い、清々とした気分を感じているのである。


 思えば、なんにしても「所有」するという事は、いろいろな意味で「重く」なる事であろう。

フランス人は、家は賃貸住宅に限る、という考えの人々が多いと聞いた。家というものを所有す

る事による煩わしい様々な事から人生を開放する、という考え方だと聞いた事がある。その根本

には「人生は借り物」という考えがあるとも。

もし人生が借り物であるなら、誰から借りており、誰に返せばいいのだろうか



 オートバイや車という構造物への興味やその所有欲がまったく無くなったか? と問われれば、

正直、経済が許せばまた欲しくなるかな? と考えているのであるが、車を所有しないことから

くるセイセイとした軽い気持ちのほうが大きい今日この頃。
                                   2012年 4月




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