手拭いとタオルと大風呂敷



 指圧をするときには日本手拭いを良く使う。薄くて柔らかいという機能性が、指圧をす

る側される側の双方にとって具合がいい。タオルでも悪くはないが、手拭いの方が自分と

しては好みである。

 タオルは西洋の文化、対して手拭いは日本の文化、という気がする。

風呂上がりに体をふくには、手拭いよりは吸収力の大きいタオルが断然快適で、大げさに

いえば西洋文化の圧勝である。しかし、いったん濡れてしまえばタオルはなかなか乾かな

いが手拭いはタオルの何倍も速く乾く。再び大げさに言えば、回復力は日本文化の圧勝で

ある。

そして、三たび大げさに言えば、力ずくの西洋文化より、環境の時代にあってはひかえめ

な日本文化が秀でているのではないかと思ったりする。

と思っていたら、今はタオルの吸収力と手拭いの速乾性を合わせ持ったものがあるらしい。

時代は「これまでの当たり前は単なる思い込みに過ぎない」ことに知らないうちに変化さ

せてしまう。



昔の事情で今の時代を見ると話がズレる。自分のそのズレ加減は息子と話していれば良く

分かる。そのズレが困ったことを引き起こすこともある。その証拠に、ニュースを見てい

れば、世の中は時代とのズレ加減が原因でいつもゴタゴタしているではないか。医療技術

の変化からくる訴訟事件、スポーツや教育現場での体罰問題、個人情報の扱いからくる事

件、ごみの未分別による環境汚染、エスカレーターでは右が歩く人・左は止まっている人

という奇妙なルール、男は外で仕事・女は家で家事なんて事を今言ったら・・・

昔は正しく、当然と思われていたことが、時代錯誤であるばかりでなく、ちょくちょく人

の迷惑、反感を買うことがいくらでもあるのである。


 たかが手拭いとタオルの比較からそこまで話をひろげるのは、いかにも「大風呂敷」か

とも・・・



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 〜日本手拭いに書かれた福澤先生心訓〜



 昔はこういう金言、名言のたぐいをそこいらじゅうで見かけた。玄関、床の間、事務所

の壁、置物、土産物、タオル、手拭い・・・説教臭くてうんざりしていた。


何故だろうか最近はこの手の「人を導く言葉」にすっかりお目にかかることがなくなった。





       うんざりするどころか、心に響くのである    2013年 2月



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