同じ物語はひとつとしてなく やはり、自分は仏教徒なのだろう。 母親が亡くなってから自然に仏壇に手を合わせるようになった。 たまに気が向くと般若心経と方丈記をあげている。 気が向かないとやらないのだから、ふまじめな仏教徒である。 教養のない自分の解釈だからいいかげんなものだが、方丈記と般若心経は同じことを言ってい るように思う。すべてはあり、すべてはなく、ただ流れているのだと。 般若心経や方丈記を暗記したところでなにか意味があるのだろうか。 わからない。 仕事を通して、様々な人生に触れることが日常になった。 手当てというものの力なのだろう。仕事の話や、人間関係の愚痴、家族のことや、最近のニ ュースなどの世間話をしているうちに、身も心も「オープン」になって、やがて自分の人生の 断片を語ってくれることがある。 作り物ではない人の人生ほど、面白いものはない。 笑ったり、感心したり、時には涙がでそうなほど感動することがある。 戦争の時代を生きてきた老人 ガンを告知されて闘病している人 疲労困憊のサラリーマン 脱サラしたばかりの自営業者 転職を考え悩んでいるOL 苦悩と喜びと不安を抱えた芸能人 景気が悪く苦労している経営者 半身麻痺になってしまった芸術家 教育現場で頑張る学校の先生 配偶者、家族との関係に悩む人 それぞれの人生には同じ物語はひとつとしてなく、何かを得て、何かを失い、それを繰り返し ながら、誰もがオンリーワンの人生を歩んでいる。 縁あって工芸作品展を見に芸大に行ってきた、芸術の秋の空 方丈記、鴨長明(かものちょうめい,1155-1216) ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、 久しくとどまりたる例(ためし)なし。 世の中にある人と、栖(すみか)とまた かくのごとし・・・ 最初から最後まで寝ている人もいる。指圧はホントにイイ もちろん、受ける側に回るほうがいいに決まっている 2014年 10月