指圧周辺    No.005
2002年 5月
指圧師 木 村  浩


自分のからだに責任をもつ

 自分のからだに責任をもとうとする時、医学の力はどのような影響力をもつのか?今現在

の医学がどのような力を持っているのか?いままで不治とされていたものがあっさりと治る

ようになる。それはありがたいことです。しかし一方でその大きな力にへたをすると翻弄さ

れてしまうことにはならないか?進歩した医学に無条件に身を任せてよいのか?

どこかで疑問を持っていたほうがいい。今現在の医学の到達点がどこにあるか?できるかぎ

り知っておきたいと思うのです。

自分の体に異常を感じた時、人はいろいろな対応をします。医者に行く、クスリを飲む、

手術する、民間療法を試みる、がまんする(その結果自然治癒する?)・・・すべてより

よい状態を求めるための「キッカケ」です。そのキッカケの大小、あるいはリスクの大き

さといってもいい。いずれにせよどんな「キッカケ」を選択するのか。がまんして様子を

みる、ということも含めてなんらかの選択をせねばなりません。その選択は自分自身で判

断しなくてはならない。自分のからだは自分自身で責任をもたねばなりません。いのちを

大切にするとはそういう事ではないでしょうか。


「願い」がありますように

 数年前にぼくの友人がガンで亡くなりました。友人は副作用の強い治療を拒否した病院

から追い出されてしまいました。家族との時間、自分のやりたい事、仕事、それらと両立

する治療はないものかと友人は悩んだのだと思います。「治す」ためには、ただ一つの方

法しかないとする医療は友人の残された時間を告げることはできても友人の「生きる」時

の支えとなるような力にはなり得なかったようです。

 イキイキと「生きる」ことを目指す医療では信じられないような「奇跡」をおこすこと

もよくあるようです。しかし、僕の言いたいことはそのことではありません。

友人は、奥さんやお子さんの大変な努力もあって、本人の望む治療をしてくれるお医者さ

んとのめぐりあいがありました。ぼくの知る限り、友人は亡くなるその日まで、家族に見

守られながら、「生きる」ことができたのです。

 友人とご家族の方の選択が正しかったのかどうかは僕が口を挟むことではありませんし、

正解は一つではないような気がします。


 お医者さんには「わたしのいう通りにしていればよい」という考え方をしてほしくありま

せん。医療を求めているその方の仕事、家族、生活を含めた、その人の生き方の反映とし

ての「選択」を尊重してほしい。病気に対してどのような治療がありえるのか?その治療を

した場合、痛みや副作用、治る確立は何%くらいか。その治療がその人の「生きる」ときの

支えとなりますように、・・・そういった願いを込めた医療であってほしい。そして、お

医者さんの力を借りようとする自分は、「自分のいのちは自分で責任を持つ」という立場

で、「先生にすべてお任せする」という態度ではいけないと思うのです。いのちを大切にす

るとはそういう事ではないでしょうか。


 ぼくはお医者さんにかかる時に、医療に対しての自分の基本的な考え方を持っていたほ

うがよいと思うのです。 医療になにを期待し、どう評価し、なにを受け入れ、なにを受

け入れないのか。それは、同じ人は一人としていない、という事を認めた上で、一人一人

の生きていく時の選択ではないか?、と思うのですが・・・


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