理不尽で不条理の中で生きる自由 〜西部邁さん〜 西部邁さんのこと ご存知の方も多いと思いますが、元東大の先生で、「保守の論客」といわれていた西部邁(に しべすすむ)さんが『自裁死』(後述)されました。 西部邁さんのことは、テレビやインターネットでの発言を聞いて注目していました。著作は読ん だことがないので生半可ですが、政治的な主張(自分には説得力のある、しかし過激な主張だっ たように感じました)はいつも興味深く、思想家の強靭さと温かみのある笑顔に人としての魅力 を強く感じさせる方でした。 西部邁さん 社会学者の宮台真司さんは西部さんと「朝まで生テレビ」などで激論を交わした相手であった ようですが、お二人は互いに尊重しあう仲であることをインターネット上の対談を見て理解しま した。 その宮台真司さんがラジオで西部さんを追悼するお話をしていました。その話がとても心に残 り、自分が西部さんに強い魅力を感じていたことを理解できたように思ったのです。 以下は宮台真司さんが西部さんのことを話されたことの要約です。 以下↓ ・・・西部さんはよくおっしゃっていたのは、 オルテガ( ホセ・オルテガ・イ・ガセット 1955没 スペインの哲学者)が言うように、『 大衆というものは損得勘定の不安(抜けがけの不安)から、正しさを主張するものに過ぎない 』のであるが、本当の正しさというものは、愛に基づくもので、たとえば不合理でも、自分以 外のもののためにガンバル、ということである。 ・・・自分の立場である『保守』というものについては、このようにもおっしゃっていた、 理性(もしくは人間)には限界がある。これをすれば正しい、という考えには限界があり、一 歩一歩確かめながら少しずつ進むしかなく、それを本当の意味での『保守』という。 ・・・こんな事もよくおっしゃていた、 人間は、合理的な知識を持てば幸せになる訳ではない。時に不合理なことが幸せにつながるこ ともある。 人間には、理不尽で不条理の中で生きる自由がある。それが人間を幸せにするのである。 ・・・『自裁死』について以前からおっしゃていたのは、 人は追い詰められたあげくに、死ぬ、といういように思われているが、追い詰められて死ぬの ではなく、自由になるために死ぬのだ。 ・・・そういう主張をしていた方でした。 ↑以上 宮台真司さんの語る、西部邁さんの追悼は以上のようなものでした。 政治的な主張は十分に理解していませんが、人としての魅力はやはり大きな方であったと、あら ためて思い、遺された著作や対談などの映像にもう少し触れてみたいと考えているところです。 ところで、『人間は、合理的な知識を持てば幸せになる訳ではない。時に不合理なことが幸せ につながることもある。』、そして『 人間には、理不尽で不条理の中で生きる自由があり、そ れが人間を幸せにする 』、これらの言葉を聞いて思い出したことがあります。 以前ここに書いたことですが、大好きなクレージーキャッツの植木等さんのエピソードです。 植木さんはたいへんに真面目な方で、『スーダラ節』を歌うことになった時に、「 『分かっち ゃいるけどやめられない、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ・・・』 そんな無 責任な歌を歌って許されるんだろうか? 」 と悩んでいたそうです、そんな時に、お寺のお坊 さんであった植木さんのお父さんは、「分かっちゃいるけどやめられない、は人間の心理を突い ている。お前は正々堂々と歌え」と言って息子の背中を押した。という大好きなエピソードを思 い出したのです。 愛蔵のクレージーキャッツのCDと植木等さん 分かっちゃいるけどやめられない ・・・ 『 人間には、理不尽で不条理の中で生きる自由があり、それが人間を幸せにする 』 2018年 2月