◯◯は残酷だが、◯は優しい   




 ■ 自分は人であり同時に人々である


 カミさんと息子はテレビのクイズ番組をよく見るので、付き合って見ていると、


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  ◯◯は残酷だが、◯は優しい

  ◯の中に入る漢字一文字はなにか?

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という問題があった。


自分にはサッパリ分からなかったが、

見ていたカミさんが、即座に『 タゴールだね』 と言うのだった。

カミさん正解! 参りました!(ハナからずっとかないませんが・・・)


インドの詩人、ラビントラナート・タゴール(1861ー1941 ・1913年ノーベル文学賞)で

『人々は残酷だが、人は優しい』という言葉。



何か心に引っかかって調べたところ、


・人々という匿名性を獲得した『正義』はどんな残酷なこともできる。

 とか、

・『人物』は信用していいが、『人間』を信用してはならない。


というような解説を見たのだった。



 今(今も昔も)、 「人々(大衆)という匿名性が形づくる正義」はあやうく、

 「人は人々になった時に信用できない存在に」なる。

 もちろん人々のうちに自分もいる、その事実を白日の下に晒している。




 ■ 知らないことは恥ずかしい。けれども、


 ところで、カミさんの見ているクイズ番組に付き合っていて何時も思うのは、常識として出題さ

れているような問題なのに、自分の知らない事の多いこと!

『知らないということは恥ずかしいことだなぁ』と思わずつぶやいたのだが、カミさんいわく、

「知らないことで恥ずかしい事も多い、でも、知らない事を知らないと言えない人にな

ってしまえば、恥ずかしい人間よりもっと下に位置する人になってしまう」
                 
と言うのだった。(やっぱりカナワナイ)


知らない、と告白するのは自分の低レベルをさらけ出して恥ずかしいけれども、少なくとも、自分

の中の勇気を自分自身で確認する事は出来るのだろう。




■ プライドとはなにか? 


「多くのことを知っている」 ということはプライドのバックグラウンドにある必要条件のひとつ

ではないか。しかし、恥ずかしくても、知らない事を知らないと言える勇気は、プライドのもうひ

とつの必要条件かもしれない。


・・・それでもやっぱり、知らないということは、胸を張れることではないのだろうと。




   

           人間よりもよほど知っている?



                                           2018年  3月



 追申:正義という言葉に触発されて、思い出したことがあります。もしかすると次回に、



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