ホームレスの人と会った 




■ Kさんのこと


 たまに荒川沿いをジョギングしたりするのだが、途中の橋のたもとなどに見事な技で

W家Wを立てて住んでいる人を見かけてはそんな方といつか話をしてみたいと思っていた。

そんなチャンスが先日あった。


様々にお世話になっている方のひとりに、クリスチャンで山谷の労働者の支援活動の経験

のある方がいる。数年前から仕事と生活の合間に、近所で路上生活をしている方(Kさ

ん)の話し相手になったり、時々オニギリを持って行ったり、社会復帰のための橋渡しを

したりしているという。

話を聞いてその路上生活をしている方に興味をもった。それで。Kさんの住まい(路上)

を訪ねて話をさせていただいた。

とても寒い日だった。



Kさんは、暑さ寒さをしのげることもあって昼間はよく図書館などで本を読んでいるとい

う。(図書館では、スタッフの方や一般の利用者は困惑しているだろう)日本国憲法の話

やそれによって保証されている国民の生きる権利について話してくれた。自分などよりよ

ほど通じているのだが、権利のことばかりに話が偏っているような気がした。同時に、自

分の話に耳を傾けてくれる人がいるという事に飢えているように感じて、『会話のキャッ

チボール』よりも、Kさんの話をひたすらに聞く事が今の自分がKさんに出来る事なのだ、

というように思った。


Kさんの知識レベルは高く、路上生活に入る前には社会の中にきちんとした足場を持って

いたのではないか、と推測した。

Kさんは現在の自分の状況を変えたいという強い思いはもっていないように感じた("慣れ

た"のかもしれない)のだが、ただ、現在の"住まい"は来年に控えた東京オリンピック関

連の施設の工事が進む一角の路上であり、そんなことから行政の役人から立ち退きの勧告

を受けているという。


行政としてはオリンピックという国際的な催し物の中で、国内外に"見せたくない景色"は

排除したい、という思惑がある事は容易に想像できるのである。

立ち退き交渉の中で行政は少し遠い場所にある一時避難的な施設を提案しているのだが、

現在の場所より遠いことや、かつてそういった施設での理不尽な扱いを受けたこと(ホー

ムレスを受け入れて生活保護費をピンハネするような組織がある事を知った)から、Kさ

んはその提案を拒否しているのだと言う。


前述した支援をしている方の話によると、行政は一方的な強制排除はせずに、裁判(アリ

バイ的でしかないだろう)が行われるという。少しでも良い方向に向くように、路上生活

者の支援をする弁護士の方と話をしたそうだが、Kさんに"折り合う"という姿勢が無いた

めにうまくいっていない、という事だった。それは、Kさんの日本国民としての権利意識

と、今現在自分の体が健康であること、現在の生活に不満を持っていない、という事が背

景にあるように感じたが、安定した衣食住を維持している自分にはわかり得ない事なのだ

ろうと思った。


  

    Kさんの所有物、30メートルくらいある。



時折、街中や公園でKさんのような路上生活者を見かけるが、いつも自分と特段の違いは

ないと思うのである。たまたまそういう状況にならずにこっち側に踏みとどまっただけで

自分と何も違いはない、と。

むしろ、路上に寝起きの場所を確保して整理整頓している荷物などを見て、自分にはそれ

だけのタフな生命力があるだろうか?と、頭をかすめる。

もちろん自分は自分の価値観の中で生きてきたつもりだが、目に見えないものも含めたさ

まざまな分岐点を、意識するしないも含めて通過してきた結果として今の自分の生活があ

るだけで、自分とその方の違いは大きいものではないように思うのである。





 今頃は裁判が終わっているはずであるし、オリンピックはもう目の前にきている。

Kさんは今どうしているのだろうか。


                              2019年 6月



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