シアワセ 〜ショーペンハウア先生〜 




60過ぎてもあいかわらずマヌケなボンクラなので、どうしたら「シアワセ」になれるのか

なぁ、などとぼーっと考えたりする。

『幸福について アルトゥール・ショーペンハウアー』なんて本が目にとまり、つい読んでみ

たりした訳です、


〜

・・・ソポクレースは、

幸福の断然第一の条件は

〈頭がよいということだ〉

とも言えば、

〈無意識に漫然と生きるのがいちばん楽しい〉

とも言っている。

旧約聖書に見える哲人たちも、やはり互いに意見を異にしている。

すなわち

〈愚者の生は死よりも苦しい〉『旧約偽典』イェーズス・シーラッハ

と言う者もあれば、

〈それ知恵多ければ憤激多し〉『伝道の書』

と言う者もある。・・・


(『幸福について―人生論―(新潮文庫)』(アルトゥール・ショーペンハウアー, 

 橋本 文夫 著))


〜



うーむ

頭が良いのは=幸福になる条件でもあるが、憤りを多く感じてしまう。

馬鹿だから=ノーテンキでいられるが、同時に生きるのに辛くなったりもする


もちろん馬鹿サイドに住んでいるが・・・これじゃ、賢い人間になるべきなのか、愚かな人間

で生きていく方がいいのか、わからない。気分よく生きていくのはなかなか難しいってこと?

って、ここまで書いて思い出した事がある。


ジョニ・ミッチェルの作った歌「青春の光と影」(原題: Both Sides, Now)に、


  ・・・わたしはなにかを失ったとき、

 なにかを得てきた、

 ただそうして生きてきたのだ・・・


ってのがあった。



何かを得た時には、何かを失っている、

何かを失った時には、何かを得ている。のだと。


ボンクラであるのは間違いない自分だから、都合のいい面だけを感じていたほうが

不幸にならずにすむのだろうと。



ショーペンハウア先生は次の様にも書いておられます。


〜

幸福と享楽にとって、主観的なものが客観的なものよりも比較にならぬほど重要だということ

は、空腹にまずいもの無しとか、青年を惑わす女菩薩もどこ吹く風かと見過す老人の心境とか

いうようなことから、天才や聖者の生き方に至るまで、事々に実証される。

ことに健康はいっさいの外部的な財宝にまさること万々であるから、まこと健康な乞食は病め

る国王よりも幸福である。

完全な健康と身体の好調とから生れる落ち着いた朗らかな気質とか、闊達自在で明敏な狂いの

ない透徹した知性とか、中庸を得た温和な意志とか、ひいては一点やましからぬ良心とかいっ

たようなものは、位階も富も取って代ることのできない美点である。

〜


とどのつまり、幸・不幸は全て、ココロとカラダ、自分の内にあるのだと・・・


                                   2020年 3月



  

     様子を見に本屋には行くけど、kindle ばかりになってしまった・・・
   





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