一皿100円の魅力
2004年  1月
指圧師 木 村  浩


一皿100円の魅力 


 正月もあけて一週間くらいたったある日、カミさんが風邪気味でダウンしたので、皆の晩メ

シを手に入れるべく、自転車で10分程のチェーン店の回転寿司へ行った時の話です。

 店員のバイトらしきオネエチャンにポリ容器をもらい、カウンターに座り一杯やりながら、

セルフサービスで適当に寿司を詰めていました。皿の数だけ後で会計をすればいい、というわ

かりやすいシステムです。僕は仕切りの向こうは厨房になっているいちばん端の場所に座りま

した。店内には「 流れていないものは目の前にあるボタンを押してからマイクに向かって注

文してください 」とのアナウンス。ボタンを押すと厨房の誰かが答えてくれ、マイクに向か

って好きなものを注文します。しばらくして注文したものがレールに乗って流れてくる、とい

うしかけです。仕切りの向こうでは何人かが話をしながら仕事をしている気配です。僕が注文

すると、一番端の席ですから、レールに乗せずに直接小さな窓からビニール手袋をした手だけ

を出して目の前に置いてくれました。顔を見ることはできません。僕はイッパイやりながら、

ふと以前時々通っていた、駅から5分程のところにある「仲ちゃん寿司」のオヤジさんの顔を

思い出しました。ここのところ少しご無沙汰しています。明朗会計の小さなお寿司屋さんで、

カウンターで4,5人、テーブルで5,6人の小さなお店です。ファミリーセットなるメニ

ューがあって、安心してうまい寿司を食べることができます。文字通り家族連れでよく混んで

います。何か平和な気分になるお店です。特に親しくはしていないけれども、そのオヤジさん

の顔を思い出しながら僕はちょっと考えてしまいました。

 一皿100円の、格安でしかも味は悪くないこの回転寿司では、この仕切りの向こうで誰か

が寿司を握ってレールに乗せている。そこで働いている誰かは徹底的にマニュアル化されたも

のに従って働いているに違いない。であればこそ、ある一定のレベルを下回ることのない品質

が維持されているのだろう。お客は多くの選択肢から自分の好みのものを選ぶことができる。

しかも、安くて良質という大きな魅力がある。僕もその魅力を感じて今日はここに来た。でも、

仕切りの向こうから聞こえてくる話し声、窓からでたビニール手袋の手をみて、「仲ちゃん寿

司」のオヤジさんの顔を思い出してしまった。

仕切りの向こうで働いている誰かは、マニュアルに従って仕事をしていれば、仕事としては問

題はないかもしれないけれども、仕切られた壁によって、お客さんとの「喜びを共有する」と

いうものを得るチャンスを失っているのではないか? 生きがい、働きがいという「豊かさ」

に触れるチャンスを失ってしまっているのではないか? そんな事を考えてしまいました。

お客、つまり自分自身については「仲ちゃん寿司」のオヤジさんの顔を見ながら食べる場での

「豊かさ」のようなものを、すっかり忘れてしまっていることに気がつきました。



 最低限の保障された環境を得ようとした結果、いろいろな所で似たような事は起きているよ

うな気がします。一皿100円!、という魅力の前に、人とのコミュニケーションの場におけ

る「豊かさ」、というものが、僕の中から知らず知らずのうちに遠い所にいってしまったのか

もしれません。

 特に親しい訳ではないけれども、近いうちにまた「仲ちゃん寿司」のオヤジさんの顔を見な

がら寿司を食べさせていただきたいと思います。



                              2004年  1月


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