目指せ、カリスマ指圧師!
2004年  11月
指圧師 木 村  浩


目指せ、カリスマ指圧師! 

 ぼくの住む町にあるK商店街では個人商店がどんどんつぶれている。近くにSという大型店

舗が出来て、そこにはスターバックスがあり、6つのスクリーンを持つ映画館まで入っている。

週末ともなるとS目指して付近は車で大渋滞。一方、K商店街はさびしいかぎり。しかしその

中でもがんばっている肉屋さんや、八百屋さん、魚屋さんなんかはある。力のある個人商店の

ご主人がいて、そこにはいつも人だかり、それがなんとか商店街としての空気を保っている。

日本中の商店街が、大駐車場をそなえた大型店舗の出現と同時にK商店街と同じような状況に

追い込まれているらしい。大きな組織の前に、力のない個人の職業、ひいては生き方の選択肢

が奪われていくのを感じる。魅力がなく、力がないのだから仕方がない、ということなのだろ

う。


 脱サラして農業をはじめた人がラジオで話をしていた。生産した野菜を直接お客さん=消費

者に届けていると言う。そのやり方で生活していくには、最低40件のお客を確保しなければ

ならないらしい。その方は現在25件しかお客がなく、従って専業では生活ができない。また、

もし100人のお客を確保すれば、今度は個人では対応できなくなる。土地を増やし人を使わ

ねばならない、その方は、そういう形態にはしたくない、自分の生活が成り立つ40件の規模

で生きていきたい、と言っていた。


 農業の後継者不足の対策として、農業の法人組織化という動きがあるらしい。都市生活に疲

れた人々が、大自然の中で暮らしたいと考えたときに、農業法人に「転職」すれば、あこがれ

の農的生活を組織人として手に入れることができる。ということかもしれない。組織化は、個

人にとっても社会にとっても安定した便利な仕組みに違いない。ラジオで話をしていた方は、

法人化もいいかもしれないが、自分たちのように小規模で、生産者と消費者が個人の結びつき

をもつことで生活ができ、生きていけるような小さな農家がもっと増えていくような方向性も

あってほしい。と言っていた。


 安定・便利なシステムの社会が整備されていくと、個人が逃げ込む隙間のようなものをどん

どんつぶしていくことになりがちではないか?指圧のような世界でもそう、チェーン店がどん

どん増えている、今は個人開業で生きていくのは難しい。さらに、僕は国家資格を取ったけれ

ども、資格をもっていない素晴らしい指圧師がいることを僕は知っている。しかし資格がない

と一般的には世の中に信用してもらえない。商店街の話にしても、農業の話にしても、指圧の

話にしても、個人として組織に属せずに生きていきたければ、色々な意味で、タフで力のある

個人でなければ生きていけない、ということかもしれない。


 一昔前は、月給取り、という言葉があったらしい。組織で働き、給料をもらって生活する、

という人が少数派だったんだろう。今では誰もそんな言葉は使わない、みんなが月給取りだか

ら。逆に、自営業者という言葉で組織に属さない少数派を表す。

社会が成熟してくると、組織化、システム化はどんどん進む。だから便利だし、安定した生活

をおくることができる。個人はそのシステムの中にキチンと組み込まれていないと、一人前の

個人として生きにくい世の中になってしまった。そして個人が組織から遠い所で生きていくの

は難しく、そしてキビシイ。

人は誰も社会との関係なしには生きていけないけれども、組織に属さなくとも身分相応に生き

ていくことができなければ、その事が社会の「不安のタネ」になるのではないか?という気が

する。


 僕は力のない個人だけれども、自分なりの役割と、社会との関係を感じながら、ナントカ生

きていきたい。

 かくなる上は、「 目指せ、カリスマ指圧師! 」


                     ・・・ ま、ちょっと・・・、無理かナ



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