オヤジのブツクサ
2005年   9月
指圧師 木 村  浩


コトバに罪はなく 

 どこの家庭でもオヤジというものは、テレビを見ながらブツクサ文句をいうものかも

しれない。最近ぼくの耳にどうにも引っかかる、気に入らないコトバ集。・・・僕も立

派にオヤジになりました・・・


 例えば、<癒し(いやし)> というコトバ。 癒しという言葉には、怒りや悲しみ、

悩みがいっとき消えて、心にやすらぎが訪れるようなイメージではないか。それがお手

軽に起こり得るとは考えにくい。最近は商売の宣伝文句にたびたびこの言葉が利用され、

流行っていることがどうにも気に入らない。「 癒しの空間 」、とか、「 癒しのひ

ととき 」 とか、「 あなたを癒す〜」 とか、癒しという言葉がお手軽に使われて

いるのを耳にすると何か引っかかる。人の心の深いところに作用するのがその言葉の意

味するところではないのか? 金を出しさえすれば、「お気軽」に癒しを手に入れるこ

とができるものなのか? パンフレットや店のドアには、大きくその文字がおどってい

る。商売にうまい具合にハマルからと、その言葉はいいようにこき使われている。まっ

たく気に入らない!


 例えば、<自己責任> というコトバ。これからは、自分のことは全て自分で責任を

負うのが当たり前だという。 自己責任の時代だという。

それは一人歩きして、「他人のことなんてシッタコッチャナイ、自分の責任さ」と言い

放つことを許容する。そんな冷たい時代をつくってしまうコトバ・・・気に入らない。


 例えば、<グローバルスタンダード> というコトバ。世界の一員として生きていく

のなら、古い考え方を全て捨てて新しい価値感を受け入れよ、という。

これがグローバルスタンダードだよ、と言われれば、それを受け入れなければ時代錯誤

の使えない人間、というレッテルを貼られてしまう。ひとたびその言葉を使われてしま

うと反論の仕様がないような空気が作られる・・・なにか気に入らない。


 例えば、<お客様は神様です> というコトバ。数年前に亡くなった三波春夫さんの

言葉。ラジオでお話を聞く機会があったけれども、大変なインテリで魅力的な方だった。

「お客様は神様です」という言葉は、三波さんの「お客様に育てて頂いている」、とい

う心からの思いの言葉だった。しかし、僕はこの言葉が一人歩きをしてしまって、世の

中を悪くしてしまった側面があるのではないか、と考えている。というのは、「お金を

払う方(お客)が一方的に上の立場にあって、金を払う人間がそれを受け取る人間より

上にいるのだ」、という下品な解釈が、ひろく行き渡ってしまったのではないか。

モノを買う、サービスを受け取るという行為は、お互いが納得した上でモノと金が往来

し、たがいが望むものを手に入れて喜びあう、という関係が成立する行為ではないのか。

三波さんの意図とはまるで違う意味の言葉としてそれは一人歩きをしてしまった。金払

いがいいからといって「神様」なんかではない! なんでちゃんと三波さんの言葉を理

解せず、その意味をねじ曲げたのか! 気に入らない。


 例えば、<結果を出す>というコトバ。プロスポーツの場面でよく使われている。勝

負は勝つことだけが目的であって、それ以外は無価値である、というような誤ったメッ

セージを子供たちに(あまつさえ大人達へも)与えてしまっているのではないか?<勝

ち組、負け組>というコトバもしかり。<オールオアナッシング>ではそのあいだにあ

るものを見失うだろう! 気に入らない。


 例えば・・・・

・・・コトバに罪があるはずもなく、しかし、このようにオヤジのブツクサはクドク、

あくまでシツコク続くのである・・・



                             2005年  9月


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