正月という装置
2006年 1月
指圧師 木 村 浩
新年は家族でNHKの紅白を見て2006年を迎えた。
去年の暮れは自分の弱さをつくづく感じることが多くあった。この先、今まで通り仕事
があり家族を養っていけるのか?という不安を強く感じた。そしてその不安を感じたか
らこそ、沢山の人々との関係に支えられて自分が生きていられるのだ。という当然のこ
とを認識させられた。五十歳になろうとしている人間が今頃になってそんなことをいっ
ているようではなんともナサケナク、嫌になってしまう。年末は不安に押しつぶされそ
うな自分の弱さを強く感じて、いつになくミジメで元気がなかったから、正月は気持ち
をリセットして、新しい年に新しい自分をスタートさせたい、という気持ちでむかえた。
年が明けてからカミサンの実家に行った折、義理の親父の仏壇の脇に「真宗の生活・20
06年版」という小冊子が置いてあった。皆が箱根駅伝を夢中になってみている間にコタ
ツにあたりながらそれを読んだ。自分のエネルギーが下がっているのを感じていたから
無意識にその小冊子を手にとったのかもしれない。その中の一節から京都の学校で校長
先生をしている方の言葉を以下に引用させていただきます。
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往生
「私は自分で生まれたくて生まれてきたのではない」と言う人がいます。その通りで
す。私は私のはからいで生まれてきたのではありません。しかし私が今お預かりしてい
るこの「いのち」は、生まれたくて生まれてきたに違いありません。生まれたくて生ま
れてきたいのちは、だからまったく迷うことなく生きようとしています。今この瞬間も、
心臓も肺も他の内臓も神経も筋肉も生きるという明確な目的のもとに働いています。さ
らに地水火風すべてが私の生を支えています。そこに大きな願いのはたらきを感じずに
はいられません。
そのことを思いますと、不思議な安心感が生まれてきます。そのはたらきにのって、
思い通りにならない娑婆(しゃば)を安心して生き、そして生きる縁が尽きると、いの
ちのふるさとへ安心して帰らせていただく。その帰る先は、私が仏に成らせていただく
浄土です。これを「往生」といいます。その安心に立ったとき、与えられた現実にひる
まず、いのちを燃焼させ、自分のできる限りを尽くす意欲が出てくるのでしょう。「私
のいのち」と言いながら、そのいのちを真剣に考えることさえしないこの私が、いずれ
仏になるべきいのちを生きていると、仏さまから拝まれているのです。そして仏さまか
ら願われて生きていると気づくと、不完全な弱い愚かな私が見えてきて、だからこそ願
われていると教わります。さまざまないのちに支えられ、共に現に生きているという、
そのこと自体が尊いのだということに思いがいたると、生きることへの元気が出てきま
す。
帰る先がはっきりすると、現実の様々な問題に対して、安心して尽くしていけます。
新しいことや、ためらっていたことに着手したり、やり直したりもできるでしょう。そ
うなったとき、今営んでいる毎日の生活の中の一つひとつが、私が私になっていく大事
なこととして、意味のある歩みに感じられるようになるのでしょう。
その歩みを「往生」というのでしょう
真城義麿(京都、大谷中・高等学校長)
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子供の頃から、正月だからといって改めて何かを意識したり、決意したりすることは
なかったけれども、今年は特別な感慨をもって正月をむかえました。
「同情するなら金をくれ!」というセリフが強烈な印象をもたらした映画が以前ありま
した。金だけが真の力であるという世の中が加速しています。「金がなけれりゃ食って
いけないだろう!」という人がいます。金を稼いでいくことができるのか不安になる自
分がいます。しかし言葉の力を信じて、それにはげまされて生きていきたい。自信満々
になることは望みでなく、ナサケナサを引きずりながら、誰かに迷惑をかけながら、自
分は弱い人間だと自覚し、感謝し、祈りながら、なんとか頑張る自分で生きていきたい。
そんなことを考えた今年の正月です。
新しい一年が始まるといっても、ただ単に一秒が経過してカレンダーをかけかえるだ
けのことにすぎないのに、正月を境にして日本人は新しい年へと気持ちをリセットする。
それが「正月という装置」の機能なのかもしれない。そのリセット装置のはたらきによ
って、良くも悪くも「過ぎた日は忘れて明日へと向かおう」ということになり、過去を
振り返らず歴史にあまり執着しない、ということになるのかもしれない。僕自身もその
一人ではあるけれども、そのことが日本を再び戦争をする国にしてしまわないように、
戦争というものをリアルに想像して、子供達を人殺しの戦場に絶対に送らない、という
決意を正月という時期にあらためてしています。
ちっぽけな一人一人の願いや祈りが大切ではないでしょうか。
2006年 1月
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