指圧はまちがいなく素晴らしいのだ
2006年  10月
指圧師 木 村  浩



指圧で治る?

 「指圧で治る?」とよく聞かれる。「一発で治ることもあるし、何回受けても治らな

いかもしれない」とか「受けて見なけりゃ分からない」とか「自分の指圧がいいかもし

れないし、自分以外の指圧師のほうがいいかもしれない」などと頼りない返事しかでき

ないことがある。ましてや、あきらかにウイルス感染があったり、交通事故で流血して

いるさなかに、指圧で治るなどと考える筈もない。 治すために、手術を受けたほうが

いいかもしれないし、化学物質である薬物や漢方薬がいいかもしれない。ハリやお灸の

ほうがいいかもしれないし、カウンセリングを受けたほうがよかったり(心因性の腰痛

なんてのも結構あることはあまり知られていない)、運動習慣を身につけることによっ

てあらゆる身体の不調からすっかり開放された人もいる。 食生活を大きく変えること

が必要だったり、宗教団体に入ってガンを克服したなんて話もよく聞く。仕事を変えた

り(僕の友人は胃潰瘍を転職によって治した)、人間関係が改善することで治ることも

あるし、子供の喘息が、空気のいい田舎に引っ越したことですっかりよくなったという

話も知っている。



「治る」とはどういうことか?

 これは指圧師に限った話ではないが、治る話はかえってくるが、治らなかったという

話は治療者にはかえってきにくい。診療にこなくなったから治ったにちがいない、と治

療者はいいように解釈することも多いだろう。だから治療を受ける側はそれを踏まえて

「治せるか?」と問うべきと考える。また、自分を振り返ってみても、治療を受ける側

は「治りますよ!」という頼もしい返事を期待する。しかし「自分にとっての治る」と

いうことはどういうことか? それを考えていない人が多い。完璧に以前のように何不

自由ない状態になることをあくまで求めるか、仕事、生活に支障のない状態であればそ

れでよいとする考え方もあるし、痛みがなく、病となんとか付き合っていける状態を維

持しようとする考え方もある。その病がどのような性質であるのかはもちろんとして、

自分が背負っているものや、人生観によって、治るということの中身は異なるだろう。

さらに、治すということには大抵の場合はリスクとセットになっている。手術だったら

自分の身体にメスを入れるというリスク、また、薬には必ず副作用があるというリスク。

治すという行為には、なんらかのリスクも同時にあることは前提として考えて大体間違

いはない。そのリスクをどう受け止めるかは、やっぱり一人ひとりの生活や人生観によ

ってちがうのではないか。 そういう一人ひとりの生活や人生観を考えると、「治る

か?」という問いに的確に返答するのは難しいことだろう。 くわえて「治る過程」の

こともある。リスクはあっても短期間で治すということを求めるか、回り道をしてもな

るべく自然治癒に近いかたちで治していきたい(それは指圧の仕事と一致する)、とい

う選択もあるだろう。このように「治る」ということを考えると、実にいろいろな要素

が関係している。そして前述したように西洋医学、東洋医学、民間療法、食事療法、運

動療法、転職、引越し?・・・それらの組み合わせも含めた様々な治療方法があること

に気がついたとき、多種多用な選択肢の中から何が自分にふさわしいのか? それを見

極めるのがとても難しい。だから、誰かに「あんたはこれで治る!」と言って欲しい。

しかし、自分の存在と自分のおかれている状況はたった一つのものであるから、そこを

含めてどのように治るのが一番良いかを、他の誰かが的確に決定することは簡単ではな

いように思うのである。



指圧は本当に素晴らしい!

 さて、僕の仕事である指圧の話。 学校を出て資格を取らせていただいてから、幸せ

なことに、プロとして、あるいはプロとしての立場を離れて、指圧と関わりをもってき

た。指圧でこんな奇跡のようなことを起こせるのか! という話や、何をやってもだめ

だったが、指圧のおかげでこんなに元気に社会復帰できた、という人にも多く出会った。

仕事や勉強の場を通して、そんな経験や出会いをもつということが大事だし、それによ

って指圧を続けていくことの強い動機付けを定期的に得られることの幸運を感じている。

さて、指圧で治るか? という疑問に戻る。どんな医療よりも素晴らしい結果をもたら

すこともあるし、直接には、治すということに結びつかないこともある。指圧がよいか

どうかは自分の心と身体で判断するしかない。しかし指圧の信奉者として理解してもら

いたい事はある。

指圧は薬物を使うわけでもなければ、機械を使うわけでもなく、いわゆる副作用という

ものがない、大変な苦しみをもたらすものでもなく(むしろ大変心地よい)、そして本

来、喜びをもたらすものでもある。それは試してみる価値のあるものであり、文字通り、

人の手を介して人の(心を含めた)身体に作用するものである。ここでは具体的な体へ

もたらす影響や、技術の中身については述べない。しかし、指圧は本来誰にでもできる

行為であることは言いたい。もし、あなたの家族や愛する人の日常を支え、つらい苦し

みを少しでも和らげてあげたいと願う気持ちで、指圧(ひろく言えば「手当て」という

行為)をしてあげることがあれば、治る、もしくは「治るというもの以上のもの」をも

たらすかもしれない。




 そして再び「指圧で治るか?」という疑問に戻る。

指圧はまちがいなく素晴らしい。

ズレているかもしれないが、それがその質問に対する僕の答えなのである。

                           2006年 10月



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