父親の生きた時間をこえて
2006年  12月
指圧師 木 村  浩



老人力がついた!?

 今年50歳になりました。父親は43歳で人生を終えたのに、自分はそれよりも7年

も長い人生を送っている・・・たびたびそのことの不思議を思うのです。それを裏付け

るように、肉体のほうは20代・30代の頃とは明らかに違う体の感覚、たとえば、ひ

どい腰痛にみまわれそうな不安、心臓がきちんと働いているだろうかという不安、疲労

からの回復が明らかに遅くなってきているという感覚、老眼が進んでいるという実感、

言ってみれば、自分の体の中にある不穏な気配のようなものを感じるようになりました。

しかし、このくらいの年齢になれば、それが普通のことなのかもしれません。カミさん

に言わせるとそれは「老人力」がついたのだと、少し前にはやった本のことを言うので

す。



健康と寿命の関係

 急性白血病で亡くなった父は、戦時中は満州の機関車乗りとして服役し、戦後、東京

に出てから製薬会社のボイラーマンとして働き、覚えている限りでは、とくに大酒飲み

でもなく、大抵の場合家族そろって夕食をし、質素で規則正しい生活を送っていたよう

に思います。子供の印象ですからあてにはなりませんが、仕事や家庭で特に大きなスト

レスも抱えていなかったように思います。健康が一番大事だとよく言っていたのですが、

平均寿命よりもずいぶんとショートカットしてあちらへ逝ってしまいました。健康とい

うものの大切さを人の何倍も意識していても、平均寿命を待たずに亡くなっていく人は

今も昔も少なくないように思います。また、健康で毎日を送っていても、突然の事故で

亡くなる人もいます。今年は、運送業の仲間が仕事中の事故で亡くなりました。仕事先

のある方の息子さんはオートバイの事故で亡くなりました。 昨日まで元気で仕事をし

ていたその方々の笑顔が、何度も僕の頭の中に鮮明に蘇るのです。

 人は、病気に限らず、不運としかいいようのない事故で命を落とすということもあり

ます。そんなことを思うと、生きられる時間の長さというものは、ひょっとしてすでに

セットされているのではないか? そんなことを頭の片スミで思ったりします。だから

といって、安全運転などしてもしなくても事故はおきるものだ、健康診断なんか受けて

も仕方ない、健康のために運動なんかしても無駄だ、食事に気をつけても仕方ない、好

きな酒は我慢する必要がない、指圧なんか受けても受けなくても一緒だ・・・ という

ことではなく、生きられる時間の長さというものは人智をこえてあるものかもしれな

い? ということを考えるのです。



生きられる時間はセットされているにしても

 きっかけは定かではないけれども、時々、自分の体が自分のものではないような感覚

を覚えます。というより、そういうふうに思い込もうとしている節があります。どうい

うことかというと、この体を使わせてもらっている、という感覚で体とつきあっていこ

う、という気持ちです。 健康を願うということは、そこから出発するのではないかと

考えるのです。仕事中に膝を強打して、痛い!と思った次の瞬間、膝に対して粗末に扱

ったことを、ごめんと謝ったりします。天気のいい日に布団を干していて手をぶつけて

切ってしまった時にも、自分の体に、ごめん、とつぶやいたりします。もちろん、まぎ

れもなくこの体は自分のものなのですが、自分のために一生懸命に働いてくれている、

というように考えるようにしています。不注意で風邪をひいたり、酒の飲みすぎで体調

を崩しても、体に対して粗末な扱いをしたことを申し訳なく思うのです。 

そうはいっても、体に無理をかけずに生きていくことは難しいし、つい無頓着に自分の

体を扱ってしまいがちなのが日常です。しかし、仮に生きられる時間はすでにセットさ

れているにしても、自分の体が何よりも大切だということを、たまには思い出そうと思

うのです。

そんなことを考えるのは、気持ちとは裏腹に年齢相応に出現する体の不安を感じはじめ

ていることが影響しているのでしょう。しかしなんといっても、父の生きた時間をこえ

て、さらに7年も生き続けている、という不思議さを強く感じていることが最も大きく

関係しているのかもしれません。





     体の大切さを思い出すには指圧が一番!     オット、宣伝?

                               2006年12月


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