脳は都市、体は自然
2007年   1月
指圧師 木 村  浩


 昨年末のこと。ある方の指圧をさせていただきながら、解剖学者の養老孟司さんの書

かれた少し前の本についての話をした。家に帰って、その中身がどんなものだったかな

と考えていたら、たまたまスイッチを入れたテレビで、養老さんがフィリピンの農村と

森を歩きながら、人間と地球環境について考える。というような番組をやっていた。途

中から見たのだけれど、面白くて最後まで見た。



脳は都市、体は自然

「脳は都市、体は自然と考えればいい」という。要するに思い通りにコントロールでき

る、とするのが都市(脳)で、ままならないのが自然(体)だという。人間は脳(欲)

の命ずるままに自然をどんどん都市化する。そういう具合に自然はコントロールできる

ものだと思い込んでいる。ところが大地震や大型の台風などによって、都市はものの見

事に破壊されてしまう。結局は自然をコントロールすることはできないし、人間は自然

なくして存在することはできない。


自然とどう付き合うか

 人間の都合とまったく無関係に存在している自然と、人間はどう付き合ってきたか?

フィリピンの農村、日本の里山の風景を見てみると、もちろん手付かずの自然とは違う

風景が見える。畑や田んぼが見える。それは人間が「手入れ」をした風景である。それ

を見ると、人間は自然に手を入れながらこちらが向こうにあわせて、自然と押したり引

いたりの「やりとり」を繰り返し、試行錯誤しながら、「折り合い」をつけながら生き

てきたことがわかる。自然をコントロールするというやり方ではない。ところが、コン

トロールすることができる、ということでやってきたのが都市化、つまり人間の「脳

化」ということ。つまり脳化というのは、人間が自然からどんどん離れていく(あるい

はコントロールしようとする)ことだという。


子供は自然

 ちなみに、子育ても同じで、子供は自然そのものであり、「あーすればこーなる」式

に「コントロール」しようと思っても思い通りにならない。押したり引いたりしながら

「手入れ」をしながら付き合っていくものであって、そういう「自然」と付き合いなが

ら「手入れ」をしていくのが子育てだろう。 都市化した脳をもつ現代人はそういう

「自然」と付き合うのが面倒くさい、だから子供を育てるということができなくなって

きているんだろうと。



 その番組を始めから全部聞いた訳ではないけれども、養老さんがおっしゃっていたの

は大体のところ以上のような話だったように思う。

「脳は都市、体は自然と考える」という見方にとても新鮮な興味を覚えた。環境問題が

そのまま人の健康とか体の問題と全く同じではないかと思った。 都市(つまり脳)の

理屈である「あーすればこーなる」式で、自然(つまり体)と付き合うには無理がある、

ということかもしれない。体は完全にコントロールのできない自然であり、その自然と

は「やりとり」を繰り返し、試行錯誤し、「手入れ」をしながら付き合うしかない、と

いうことではないだろうか。

僕らは体というものを、理屈でコントロールしようと気にしてばかりいるが、「体は自

然である」とみれば、自分自身の体に対して畏敬の念を抱く、という接し方があっても

いいのではないか。 テレビを見て、そんなことを感じたりした昨年末のこと。





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