「地位と名誉」と「カネ」
2007年 2月
指圧師 木 村 浩
数年前のこと、駅の改札口で後ろのほうから「先生」という聞き覚えのある声がして
思わず振り返った。その声の主は僕の指圧をたびたび受けてくださる方だった。その方
は間違いなく僕を呼びかけたのだった。僕らは立ち止まり、少し話をして別れた。それ
から僕は呆然としながらプラットホームから電車に乗った。 その日、家に帰ってから
カミサンにこう話をした。「さっきセンセイという言葉を聞いて、俺は振り返ったんだ
よ!?センセイという言葉に反応して振り返った・・・大笑いだよ、センセイという言
葉に反応するなんて・・・俺ってマヌケだよなあ、まったく何様のつもりだろう、いや
んなったよ・・・」。するとカミサンは「何言ってるの、お願いします、という気持ち
で指圧にかかっているのだから、そういうものなのよ。そんなことを考えているヒマが
あったら勉強したら」と言うのだった。
仕事として指圧を始めた最初の頃は、先生と呼ばれることに抵抗を感じて「先生でなく、
木村さんと呼んでください」といちいちお願いをしていた。しかし最近はカミサンに言
われたように、自分なりに誠実に指圧をすることが第一であって、そう呼ばれることに
いちいちこだわらなくなった。しかし、それでも時々、自分が先生と呼ばれることに違
和感を感じてしまうのである。
「地位と名誉」と「カネ」がセットになっている社会
おそらく20年くらい前に何かで読んだ話のこと。 当時、東大の先生が書かれたも
のだったような気がするが、 『・・・先生と呼ばれる職業、つまり政治家や医者、学
校の先生や、弁護士、といった「先生」と呼ばれる人間は、社会的な地位と名誉、そし
て尊敬を集める存在でなければならない。そういうたぐいの職業に就いている人間が、
それによって大金を得る、という仕組みになっている社会はよくない・・・』、 とい
うようなことを書かれていた。「地位と名誉」と「カネ」がセットになってしまってい
る今の社会のあり方は問題だ、という内容だった。 つまり、先生と呼ばれる人間は、
黒澤明監督の映画<赤ひげ>にでてくるお医者さんのような人のことを言うのだろう、
と考えた覚えがあるが、時を経たいまでも、「地位と名誉」と「カネ」はセットされた
ままになっていて、センセイと呼ばれる側の人間になることが「勝ち組」に入ることの
典型と位置付けられているように思える。
ところで、時にセンセイと呼ばれる指圧師の仕事は、社会的な地位や名誉、まして大
金を得るような職業とは遠い所に位置している仕事である。しかし、野菜や果物、お菓
子や、心のこもったお礼状をいただいたりする仕事なのであり、少しも後ろめたいこと
のない、この時代にあってきわめてめずらしいセンセイと呼ばれる職業であって、そん
なことを考えると本当に素晴らしい仕事だなあ、と思ったりするのである。
しかし、「それは分かるが、もう少しなんとか・・・」 とカミサンは言うのである。
対して、「カリスマ指圧師にさえなれば、地位と名誉とカネが・・・」と僕はぶつぶつ
口ごもるのである。
2007年 2月
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