自分の仕事に胸を張れるシアワセ
2008年  1月
指圧師 木 村  浩



 指圧学校を卒業した時は、これと生涯関わって生きていきたい。という望みを持っ

ていたが運送業をきっぱりと廃業するべきか迷っていた。そんなとき朝霞台指圧セン

ターという所から、ウチで仕事をしてみないか。と声をかけていただいた。指圧師で

もあり、ここの経営者でもある方から、今の生活を維持しながら指圧の仕事もできる

筈だ。というアドバイスを受けてプロの指圧師としてのスタートをきった。

そしてここでの経験により、どのように指圧を自分の人生の中に位置づけていけばい

いのか、自分なりの理想のようなもの、また道筋を得ることができた。





 去年は「偽」という字が一年を一言で表現する漢字として話題になった。食品の偽

装表示、偽装請負、偽装ナントカ・・・と次々と明らかになったが、年があけてもそ

の種の事件は続いている。それは多くは内部告発から明るみにでているという。

ウソをつかれたとか、腹をコワシたらしたらどうするんだ。という怒りよりも内部告

発の嵐が吹き荒れている。ということのほうが気になるのである。それは、自分達の

仕事にウソがある、ということに我慢ができない。という事ではないか。ひるがえっ

て考えてみれば、仕事のあり方や職場での人間関係に納得できない。という事ではな

いか。そういった充実感は時に経済的問題を乗り越えられる程の力で、人の心の安定、

安心につながるのではないかと思うのである。





 たぶんもう十年以上前の映画、「スーパーの女」(伊丹十三監督)という映画があ

った。活気のないスーパーに入ったパート従業員が経営者と働く仲間を巻き込みなが

ら生きがいのもてるイキイキとした職場へと改革し、次第にお客にも受け入れられて

いくようになるという話。地味なテーマをスリリングにかつ愉快に描いていた。

映画では、店の品物がそれこそ偽装であることを知っていたパートのおばちゃん達が、

自分の買い物はよそのスーパーでしていたのが、最後にはこの店の品物は間違いがな

いからと自分達のスーパーで買い物をするようになる。というように終わる。

 自分の仕事に誇りをもてる。それは個人の健全な人生にとって、そして健全な社会

にとって、さらにいえば安全な社会にとって大事な要素ではないか。しかし、そんな

健全を得にくい社会構造になってしまったらしい。そんなことを言っていては勝ち組

に入れないよと。そして偽装はますます巧妙になっていくのだろうか。僕たちの精神

を麻痺させながら・・・





 朝霞台指圧センターでは食事会と称して時々飲み会が開催される。酔いがまわって

きたころには「こんなにきちんとした指圧をする所は他にはないよ」、と誰かが一度

は口にする。仲間の指圧師がそれぞれに誠実な仕事をしていることを皆がわかってい

るからである。指圧という仕事が、誠実であれ、ということを本来的に求める技術で

はあるけれども、自分達の仕事と職場に胸を張ることができる、ということは、働く

人にとってもそこで対価を受ける人にとっても幸運なことではないかと思うのである。

そうしてお互いに「ありがとうございました」という言葉がやりとりされるのである。

そんな場所から指圧師としての新しい人生のスタートを切れたことが自分にとっての

幸運であったと本当に感謝している。






偽装問題のお菓子をその少し前に食べた。腹をこわす事はなかった。

自分の「ハラの許容度」がそれほど小さくないことに安心した次第・・・

                           2008年 1月



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