シアワセのシキイ理論
2008年  4月
指圧師 木 村  浩



金、旅、人生

 夕べ息子が見ていたアニメをたまたま一緒に見た。印象に残ったその主人公の台詞。

「・・・金持ちはどこでも皆一様に同じように生きるが、金持ちでない人間はその土

地土地に応じた多様な人生を送ることができる、だから自分には金はそれ程に必要な

い・・・」それを聞いて思わず、旅もまたしかり、とつぶやいた。

貧乏旅行にはハプニングと出会いが豊富にあることを多少は経験した。金を豊富に持

っていたらそんな豊かな旅の経験はできなかったろう。そして、人生が旅であるなら、

金と人生の関係についてその主人公が言った言葉にも説得力があると、妙に自分の気

持ちの中に入り込んだのだった。

 「金はいくらあってもジャマにならない」という言葉を子供の頃から何度も耳にし

た。けれども、ありすぎればジャマになるだろう、と以前から思っている。ニュース

を見ていればそのことは良く分かる。必要以上に金があるから起きるロクでもない事

件は多い。金が無いから起きる事件は悲しくて深刻だが、金が必要以上にあるばかり

に起きる事件はアホらしく、ムナシイことが多い。

しかし、自分の実際も、経済の問題、つまりは金のことでいつも不安を感じている。

ジャマに思うくらいに金を持ったことはないが、金さえ心配しないですむのなら、こ

んな思いや不安、様々なストレスを感じずにすむのに、と毎日のように思っている。

多くの庶民はそんなことを思って生きているのじゃないだろうか。

では、「タリナイ」と「ジャマ」の境界線はどこにあるか。 それは人それぞれに抱

えている事情と、それぞれの欲や不安が複雑に絡み合って、その境界線は一律ではな

いだろうと思う。けれども、ノーテンキに「金はいくらあってもジャマにならない」

という考えでは、いずれ大きな間違いを犯すのではないかと思うのである。



シアワセのシキイ

 14年前に脱サラして自営業者になってからは、経済の不安が、大きくてリアルな

自分の問題になった。しかし、同時にその不安が「シアワセのシキイ」を低くした。

分かりやすく言えば、ベンツに乗れない不幸ではなく、軽自動車を所有することがで

きる幸福であり、新しくて綺麗なマンションに住むことができない不幸でなく、雨漏

りのする2Kのアパート(自分の家の事)でも家族仲良く暮らすことができる幸福で

ある。経済の不安という状況が、「シアワセ感のレベル」を低くしたことで「より安

くシアワセが買える」ようになり、シアワセのシキイはあらゆる場所、状況で決して

高くなく、ヒョイとまたぐことのできる高さになったのである。

 シアワセのシキイを低くしておくためには、「金はそれ程に必要ない」と思うので

ある。家族の同意を得られているかどうかはここでは述べないけれども、「シアワセ

のシキイ理論」は自分の大義名分なのである。



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 カミさんは指圧が大好き(もちろん受けるほう)。夕食後、風呂から出て、明日も

早いからもう寝る、という時になって『指圧をしてくれないか』、と言う。『こっち

も疲れているから駄目だ』、と言うと、千円札をヒラヒラさせてくる。すかさず僕は

札をひったくり『早く横になりなさい』、と言う。それを見ていた息子は、『妻を指

圧するのに金を取るのか!この守銭奴!』、と僕をノノシルのである。




    ああ、金が欲しい・・・(金を取らないでする時も時々あります)

                             2008年 4月


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