法則/プラ・マイ・ゼロ
2009年 7月
指圧師 木 村 浩
他人からすると、幸福の典型のような人生のように見えても、または、不幸の連続
の人生を送っているように見えても、とどのつまりは、人生はプラ・マイ・ゼロだと
いう、そんな話を聞いたことがある。本当だろうか・・・
白鳥恵美子さんがジョニー・ミッチェルを歌っていた
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・・・わたしはなにかを失ったとき、
なにかを得てきた、
ただそうして生きてきたのだ・・・
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Both Sid Now(邦題 「青春の光と影」 ジョニー・ミッチェル、 1968)より
白鳥恵美子さんの歌声とその言葉が、僕のタリナイ脳に記憶された
「 なにかを失ったとき、なにかを得る 」
なにかを失ったとき、その悲しみにばかり捕らわれてしまう
しかし、その悲しみが故になにかを得る、 という
そうであれば、
「 なにかを得たとき、なにかを失う 」
なにかを得たとき、その喜びにばかり捕らわれてしまう
しかし、その喜びが故になにかを失っている・・・
「なにも失わず、ひたすら、得よう」とばかり考えている自分
なにかを失ったと感じたとき、下を向いてばかりいる自分
しかし、失った分だけ得ているのだ という
なにかを得たと感じたとき、いい気になってばかりいる自分
しかし、得た分だけ失っているのだ という
自分の人生が、それを理解するほどに重い人生ではなく
けれども、そんな法則もあるのだと、時々思い出してみようと
ジョニー・ミッチェルの白鳥恵美子さんの歌を聞いた
2009年 7月
カサンドラ・ウイルソンの Both Side Now もいいです
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