かかあ天下と亭主関白
医療保険による訪問指圧の仕事をはじめてもうすぐ一年になる
必然、お年寄りの方ばかりに出会うことになる
約30分の時間しかないが、心待ちに待っていてくれる方ばかり
Sさんは炭鉱の町に生まれ、小学3年生から納豆売りや新聞配達をして働いてきた
配達先からこずかいをもらった時は秘密で甘納豆を買い、それをポケットに入れて大事に少しずつ食
べながら新聞を配達した
「中学に行くなんて考えもしなかった」、「皆貧しかったが、不幸でもなんでもない、炭住に住んで
いた者は皆同じだったからね、みんなが同じなら不幸はない」、と話してくれた
戦時中、Sさんは戦艦大和と共に出撃し、マニラ沖で撃沈された巡洋艦・能登に乗っていた
「マニラくんだりまで行って海水浴をしてきた」、その意味を理解するのに僕は少し時間を要した
「故郷で病気の母親が待っていた者が死に、自分は生き残った。自分は運が良かっただけだ。人間は
運だよ」と話してくれた
僕が常々疑問をもっていた事を質問した時はこう答えてくれた
僕・「かかあ天下と亭主関白という正反対の言葉がありますが、いったいどちらが本当の日本の文化
でしょうか?」
すかさず、Sさん・「家の中では、かかあ天下、外では、亭主関白がいいんだね」と
僕は本当に感心してすっかりまいってしまった
いつもいつも「皆には本当に感謝している」と話されていた
「感謝は人のためにするんじゃないよ、自分のためにするもんだ」と
「感謝は金がかからないからいいんだよ」と、いつもジョークも忘れなかった
60年連れ添っている奥さんとの会話の中にも、いつもSさん一流のユーモアがあった
僕が訪ねて行くのをいつも楽しみにしていてくれた
Sさんは先月亡くなった
人は皆、ふたつとない物語りの中で生きており、同じ人生はひとつとしてない
そう実感している 2010年 5月
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