生命は2ミリの薄膜にまもられて 


 ずっと前から読んでみたいと思っていた本をつい先日、ブックオフで見つけて手に入れました。

 <宇宙からの帰還/立花隆/中央公論社>は1983年に出版された本ですが、その内容が

27年経過した現在でもまったく古くないのは、テレビやニュースで見聞きはしていても、宇宙

体験は人類一般にとっては、いまだに「雲の上」の話だからです。

 有人ロケットはどのようにして地球の外へ出ていくのか?、宇宙はどんな所なのか?、宇宙か

ら見た地球の環境とは?、宇宙体験とはどのようなものか? そして、アポロ計画によって月ま

で行って帰ってきた人類史上もっとも特異な体験をもった宇宙飛行士たちが、その体験により精

神・意識にどんな衝撃を受けたのか? その体験後にどのような人生を送ることになったのか?

元宇宙飛行士たちの多くのインタビューをもとに探ります。





以下、<宇宙からの帰還  立花隆/中央公論社> より

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<地球は宇宙のオアシス>


・・・太陽は地球上の生物にとっては恵みの神であり、太陽エネルギーによってすべての生命は

存続しているといってよい。しかし、紫外線の例をみてもわかるように、太陽それ自体は、生命

にとっては死の神でもある・・・

・・・ともかく、それ自体としては、生命にとって死の神である太陽を、恵みの神に変えている

のが、地球環境なのである。死の空間である宇宙環境を生命の空間に変えているのは、地球環境

なのである。

その地球環境の主役をつとめているのは、大気と水である。大気は地球を20キロの厚みで包ん

で保護している。20キロというと、大変な厚みであるが、地球の大きさに比較するとほんの薄

い膜のようなものである。地球の直径は1万3千キロある。これを1千万分の1に縮小してみる

と、ちょうど運動会で大玉転がしに使う大玉くらいの大きさになる。その上に厚さ2ミリの膜を

貼り付ければ、それが大気の層だ。水の層になるともっと薄い。地球上の水を全部集めて、これ

を均等な厚さにして、地球全体に広げてみると、わずかに、1.6キロの厚みにしかならない。

地球を大玉の大きさにすると、わずか0.16ミリの薄膜である。この2つの薄膜の間に、地球

上のすべての生命が存在しているのである・・・




<神との邂逅>


・・・アーウィン(アポロ15号で月面に降り立った宇宙飛行士)は、講演などに用いるために、

特性のマーブル(マーブルとは石やガラスなどで作られた、大きめのビー玉のようなもの)をい

つも持っている。

「・・・それが暗黒の中天高く見える。美しく、暖かみをもって、生きた物体として見える。だ

が同時に、何ともデリケートで、もろく、はかなく、こわれやすく見える。空気がないせいか、

その距離にもかかわらず、手をのばすとすぐにさわれるくらいの近さに感じる。そして指先でち

ょっとつまんだら、こわれてバラバラの破片になってしまうのではないかと思われるくらい弱々

しい。

地球を離れて、はじめて丸ごとの地球をひとつの球体としてみたとき、それはバスケットボール

くらいの大きさだった。それが離れるに従って、野球のボールくらいになり、ゴルフボールくら

いになり、ついに月からは、マーブルの大きさになってしまった。

はじめはその美しさ、生命感に目を奪われていたが、やがて、その弱々しさ、もろさを感じるよ

うになる。感動する。宇宙の暗黒の中の小さな青い宝石。それが地球だ。

地球の美しさは、そこに、そこだけに生命があることからくるのだろう。自分がここに生きてい

る。はるかかなたに地球がポツンと生きている。他にはどこにも生命がない。自分の生命と地球

の生命が細い一本の糸でつながれていて、それはいつ切れてしまうかしれない。

どちらも弱い弱い存在だ。かくも無力で弱い存在が宇宙の中で生きている・・・」



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 生命の存在を許さぬ暗黒の宇宙の中で、ひときわ美しい地球を眺めるとき、その存在の奇跡で

あることを強く感じてしまうのは容易に想像がつきます。しかし、宇宙で直接にそれを見た者の

そのリアリティは僕らの想像を超えているのでしょう。アポロ計画で月へと向かうために選ばれ

た宇宙飛行士たちは徹底的な科学信仰といってもよいほどの技術者であり同時に科学者だった超

エリート達でした。

アポロ15号で月面に降り立ち、地球を見上げた元宇宙飛行士、ジム・アーウィンは月から帰還

した後に、ファンダメンタルな(聖書の記述をすべて事実だとし、進化論さえも否定する原理主

義的な)宗教者になりました。

宇宙体験はやはり大きな精神・意識の変化をもたらすのでしょうか。宇宙からの帰還後に精神に

異常をきたしたり、芸術家や政治家、学者、になった元宇宙飛行士もいるようです。



 この先、人類は地球に縛り付けられた存在として生きていくべきなのか?、それとも地球の外

で生きていく道を模索していくべきなのか?、こういう質問を宇宙関係者にしてみるとはっきり

と二つのうちのどちらかの立場に分かれるそうです。

宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士達の中にも、「生命(人類)の生きていく場所は地球以外には

存在しない」、とする立場と、「戦争、環境、人口問題・・・人類は宇宙を開拓して生き延びる

しかない」とする二つの立場に分かれるそうです。



 自分としては宇宙に行きたい、という願望はありませんが、地球や人間がこのままではアブナ

イ、ということはわかります。ことここに至ってしまった我々人類は、時々は宇宙から地球を眺

めたほうがいいように思うのです。                         2010年 6月



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