リビング・ウイル  Living Will 



■リビング・ウイル Living Will とは


 尊厳死協会の会員になっています。


会員数は現在一万二千名、年間費は3000円。

会員になると銀行のカードのような会員証カードが送られてきます。

      


以下裏面の全文

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	    尊 厳 死 の 宣  言 書 (リビング・ウイル Living Will)

	私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っていたり、生命維持装置なしでは生

	存できない状態に陥った場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わ

	っている方々に次の要望を宣言いたします。この宣言書は、私の精神が健全な状

	態にある時に書いたものであります。したがって、私の精神が健全な状態にある

	時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を作成しない限り有効であり

	ます。

	@私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断さ

	れた場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたしま

	す。

	Aただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により

	十分な緩和医療を行ってください。

	B私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置

	を取りやめてください。

	以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げ

	るとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身に

	あることを付記いたします。

	住所:
	氏名:
	生年月日:

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 仏教経典の「日没無常偈(ニチモツムジョウゲ)」には次のような言葉があります。

・・強健有力の時(ゴウゴンウリキノトキ)

自策自励して常住を求めよ(ジシャクジレイシテジョウジュウヲモトメヨ)・・

口語訳  ・・強くて健康で気力のみなぎるいまのうちに、死について考えておけ・・

とあります。

「強健有力の時」に、なぜ死についての考える必要があるのか。仏教の教えるところは、

それを考えることが生きていくことに通ずる。ということなのだと理解しています。

しかし、リビングウィルのカードを持つということは、自分の生き方と深い関係はあるけ

れども、特定の宗教とは関係なく、死に際の具体的な問題のことです。

その問題は皮肉なことに、医学の発展があればこそ生じた、切実な (もちろん切実に感じ

る人にとっては) 問題ということです。

自分もそれを問題にするからこそ、カードを財布に入れて持ち歩いているのです。


 ところが先日インターネットにこんな相談があるのを見て驚きました。相談者の高齢の

母親が「尊厳死協会の会員になる」、という事を聞いて、「死ぬことを考えているなん

て・・・」、「どのように考えていいか分からない」という相談でした。その相談そのも

のに大変驚いたのです。 


 自分がどのように死ぬかをあらかじめ決めた通りにできるとはハナから思っていません

が、自分の死に際のことは漠然と考えてきました。ある年齢に達した人々は誰でもその事

は漠然と考えているものだろうという思い込みがありました。その思い込みゆえに、高齢

の母親が死に際のことを具体的に想像していることにショックを受けた。というその相談

そのものに大変驚いたのです。

高齢の母親がいるのなら自分もそれなりの年齢である筈なのに、自分の死に際のことを考

えている母親のリアリティに何の共感も見出せていない。その事実にびっくりしたのでし

た。死については何も考えない、という前提?・・・もしかしてこれが普通のことなんだ

ろうか?と。 



■尊厳死の法整備
 
 アメリカ、ヨーロッパでは尊厳死についての法整備があります。しかし日本については

まだありません。よって、尊厳死教会の会員だからといって(カードを所持しているとし

ても)その意思が尊重される、という法的な裏付けはありません。

そんなものは必要ない、という立場もありますが、自分は必要であろうと思うのです。

日本尊厳死教会では会員の意思が確実に尊重されるよう法整備のための活動を行っていま

す。尊厳死法制化を考える議員連盟というのがありますが、選挙のたびにメンバーが入れ

替わったりしているようです。そんなことでは法整備の話が進むはずもなく、ましてや

人々の関心がまったくないのであれば、国民的な関心事になるはずもありません。


 尊厳死教会の活動には多くの医師、法律家、作家、政治家、経済人も関わっており、あ

る程度は社会的に認知されています。ですから、カードを所持している会員の意思は尊重

される場合もあります。

場合もある、と書いたのはそれが尊重されない場合もあるからで、どんな場合かと言えば、

いまわの際に、家族ができる限りの事をしてほしいと医師に懇願したり、医療従事者が告

訴を怖れるなどして、回復の見込みのない延命処置をすることがあるからです。

カードの所持が確認され、尊厳死教会の会員であることが確認されても、法整備という裏

付けがなければそういうことが起きてしまうのです。

突然の身内の死を受け入れる心の準備ができてなければ、今現在での出来る限りの医療を

尽くすべきであると医師に求めることが多いのではないでしょうか?

また、延命措置をせよ、という家族と、それに反対する家族との対立もあると思います。

そこでは愛の問題や医療への認識の違いや経済の問題が交錯するはずです。そしてきわめ

て短時間のうちにその態度を迫られます。そんな状況で、ましてや法整備もない状況では

医師は延命処置を選択する事になるでしょうし、決断せねばならない時点で家族・近親者

の確認・了解が得られない場合には、医療に携わる人々は可能な限りの延命処置をするこ

とになると思います。それが尊厳死の法整備のない現在の日本の状況です。


 ただ、法整備がされても、家族や近親者にその意思を伝えておくことを怠っていたり、

その他の様々な理由により、リビングウイルが機能しない場合もおこりえるかもしれませ

ん。しかし、法整備があり、なおかつ尊厳死という本人の意思表示が確認されていれば、

処置を行う医療従事者の側からすれば、本人の意思に従って無意味と感じる延命処置はし

ない、という選択肢をもつことが可能になります。告訴を恐れる必要がなくなるからです。

くどいようですが、これはリビングウイルが機能されるための法整備がなされて、なおか

つリビングウイルの宣言書を健全な時に作成していた場合に限った話で、法整備があって

もリビングウイルに何の関心もない人は法整備前の現在とまったく変りありません。

自分は、リビングウイルが法的に尊重される法整備があるべきだという考えです。意思表

示をした人については尊重されるべきであると。


 ここで、頭に入れておいたほうがいいことがあります。それは、<安楽死と尊厳死>の

違いと、<植物状態と脳死状態>の違いです。この違いをおおざっぱでもよいからわかっ

ていたほうが、ここでいう尊厳死という概念を判断するのに役に立つのではないかと思う

のです。(因みに臓器提供のことはここでは考える必要はないと思います。臓器提供の意

思のある・なしがリビングウイルの判断に影響を与えるべきではないと思うからです)



■尊厳死と安楽死

・尊厳死→上で述べてきたように、回復の見込みのない延命処置はしない。

・安楽死→回復の見込みとは関係なく安楽に死を迎えたい。


 ざっくりと言うと現時点での日本での定義はこういうことで間違いないであろうと思い

ます。尊厳死を迎えるために安楽に逝ける処置を期待するということはあっても、死その

ものを求める安楽死は尊厳死を求める行為とは別のものである。という事です。

尊厳死教会では設立当初の会報では安楽死という言葉を使っていましたが、現在はその言

葉は使っていません。延命処置の拒否さえ社会の認知が得られていない状況では安楽死の

議論はまだまだ遠い先の話です。

自分としては、尊厳死はその中身については議論の余地があるにしても、法整備はあるべ

きであろうと思うし、さらに言えば、安楽死については、議論のギの字もないことにいら

だちさえ感じます。それは、「死を見ない」ことにしているからにほかならないのではな

いのだろうか?と。



■植物状態と脳死状態

・植物状態→脳の機能は失われて意識はないが脳幹(植物的機能)は生きており、自発呼

吸が可能なこともあり、まれに回復することもある。という状態

・脳死状態→脳幹を含む脳機能が回復する見込みのない状態。、人工呼吸器を装着しても

いずれ心臓は停止する。臓器移植が可能な技術になったことで、この定義についての議論

が活発になったのです。(多くの国は「脳死は人の死」としているが、日本では、議論の

末に、臓器提供の意思のある場合に限って「脳死は人の死である」という定義になってい

る)


 大雑把にいえばこういう事で大きな間違いはなく、自分もしくは、自分の愛する人が不

幸にもこのような状態になったとき、もしくはそうなる可能性に直面した時にこの認識が

あるかないかは、医療に何を求めるかの判断基準になるはずです。

植物状態にしても脳死状態にしても、どちらにしても、「身体の細胞」は生きています。

それを「生きている」と定義するのは、科学の話でもあるし宗教的もしくは哲学的な話に

なってしまいますから、ここではそこには踏み込むことはしません。しかし、科学にとっ

ても宗教、哲学にとっても、死はややこしいことになってしまいました。それは一昔前に

は考えられない程の「技術の進歩」があるからです。



■キーワードは「愛」

 自分も含めて大抵の人は死にはあまり慣れていません。核家族の時代では年老いた自分

の両親、ましてや祖父母と一緒に生活することはなくなってしまいました。それは祖父母、

両親の死に直面する、という経験を重ねることができなくなったということでもあります。

現代に生きる私たちにとって死は身近にあるわけではなく、死についてのリアリティを持

ち得ない状況になっているのだろうと思います。しかし、ある時突然に死に向き合わざる

をえない場面に直面するのでしょう。それは多くの場合、救急隊や病院で担当する医療従

事者に全面的に依存する。という状況です。その時に処置をせねばならない人々は「様々

な選択肢」を持っているのが現代という時代です。

少し前までは、身内の死に直面した場合には、わらをもつかむ気持ちで「できうる限りの

手当てをしてあげてください」と医師に全面的にお願いしてきたと思います。それが当然

の「愛の表現」だったはずです。

しかし一昔前なら、「ダメなもんはダメ」ということであったろうと思いますが、現代の

高度に発達した医療技術は「とりあえず生かしておく」という技術をもっているようです。

そこに尊厳死協会のリビングウイルが必要とされる背景があります。

そういう「とりあえず生かしておく」という高度な技術がある現在、「できうる限りの手

当てをしてあげてください」という愛情表現が適切なのかどうか?そのことを思うのです。



 おそらく20年位前のことだと思いますが、お医者さんの山崎章郎さんの本を読みまし

た。その本に衝撃を受けたことが、医療や医療技術、そこでの愛の問題に関心を持ったき

っかけのような気がします。それから、関連した本を随分読みましたが、今再びその本を

読み返してみました。山崎章郎さんはお医者としての様々な経験をしてホスピスの仕事な

どをして、現在は在宅医療の仕事をしているようです。

その中の一部を以下に引用します。平成二年に出版された本ですから、当時の医療技術の

水準や医療現場の方々の認識は現在とは違うはずですが、医療の受身である一般の我々の

認識からすれば、極めて非日常の出来事である人の死についてのリアリティが迫ってくる

だろうと思います。



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病院で死ぬということ 山崎章郎 (主婦の友社)平成2年 から

P99 蘇生術の主人公

・・・もちろん医師たちはだれ一人として、患者の病気が治っていくだろうなどとは思っ

ていなかった。ただ、医者の使命と信じ込んでいる信念にもとずいて、患者の延命に最大

の努力を払っていたのだ。患者の意識が低下し、その死がまじかに迫っているとだれもが

わかっていたときも、延命への努力はつづけられた。

 だがある日の夜、すべての努力をあざ笑うかのように、その患者に死が訪れた。その日

は患者の臨終が迫っていることを知った医師たちが何人も集まって、そのときに備えて待

機していた。僕はその臨終の際に行われた蘇生術の光景を、いまだに忘れることができな

い。そのとき僕は医者になって初めて、蘇生術の現場に参加したのだが、新米の医師であ

る僕には手も足もでなかった。

 いよいよ呼吸が停止し、心臓が停止しそうになったとき、ずっとその時をまっていた医

師たちは "さあ出番だぞ" といった緊張した面持ちで、手早く一人は人工呼吸を開始し、

一人は看護婦に口早に強心剤の注射を用意するよう指示し、胸壁から直接心臓内に強心剤

を注入するや、即座にベッド上に飛び上がり、患者にまたがると、その全身の力を込めて

心臓マッサージを開始した。その表情は真剣で、髪を振り乱しながら心臓マッサージを行

っている姿は近寄りがたく、鬼気迫るものさえ感じた。途中交代しながら約一時間近く行

われた蘇生術は、しかし当然のことながら、力を発揮することはできなかった。

 そのあと、部屋の外で待機していた家族を病室へ呼びいれ、苦渋に満ちた表情で彼らに

臨終を告げる主治医の姿に、僕は医療の限界と、その限界に挑む医者の苦悩を見るようで

つらくもあったが、感動も覚えたのであった。そして一日も早く蘇生術をわが物とし、だ

れかの死に直面してもうろたえることなく、医者の義務と責任が果たせるようになりたい

ものだと強く思った。

 その後、僕は医者としての経験を積み重ねるうちに、患者の臨終時の蘇生術はごく当然

の医療技術として駆使できるようになった。 1983年までの八年間に、僕はどれだけ

の人の死に立ち会ってきたのだろうか。おそらく百人を超える人の死をみとってきたこと

になるだろう。

 そして、僕は蘇生術を覚えてから1983年までの間に、僕自身が立ち会った死に行く

患者のほとんどすべてに、蘇生術をはじめてみた時に、そのなまなましい現場で感じた、

医者の義務と責任を果たすことの、せつないまでの思いを込めて蘇生術を行ってきたつも

りだ。僕は明らかに死ぬことがわかっていたとしても、その命が最後の炎を消そうとして

いるときに、そしてその行為が全く無意味とわかっていたとしても、その炎の消えるのを

一秒でも先に延ばそうとする行為を、医者としても人間としてもなんら非難されることの

ない、あたりまえの行為として、僕の中に位置づけていたのだ。

 臨終の場面は、まさに戦場であった。そしてその戦いは、決して勝利することのない戦

いだった。戦いに敗れたあと、僕は先輩たちと同じように、いつも苦渋の中で患者の家族

に敗北の宣言をしてきたのだ。「僕たちは精一杯頑張ってみました。でも残念ながら、勝

つことはできませんでした」と。そしてたいての家族は「ここまで頑張ってもらったので

すから、悔いはありません。お世話になりました」と言うのだ。

 患者が病院の裏口から帰ったあと、僕はそのつど、これでひとつの仕事を終えたのだと

いう気持ちにはなれたが、いつもなんとも言えぬ、むなしい思いにとらわれていた。一生

懸命頑張ってみたはずなのに、少しも心が充足しなかった。いつも何かやり残したような

気持ちを引きずっていた。

 だがそのような思いもいつしか日々の忙しさの中でだんだんと薄れていき、忘れ去って

いった。そしてまた、別の患者の臨終時に同じ思いに襲われる。そのようなことを繰り返

してきたのだ。僕はこのような感情は、決して勝つことのできない相手に、それを承知で

戦いを挑まなければならないものの宿命なのだと思ってきた。だが僕は、医者として当然

のことをしているのだから、これで良いのだとも思ってきた。そのように八年が過ぎた。

そして九年目、僕は南極にいた。その南極で僕は九年ちかくも僕を支えてきた信念の実体

と、その信念にもとずいて仕事をしていたのに、いつも感じていたむなしさの理由が、た

った一冊の本の第一章の一節だけで理解できたのだ。

 僕が初めて見た蘇生術に感動してしまったのは、僕が蘇生術を施す側の人間で、そのう

え未熟だったために、先輩医師たちの行動に圧倒されてしまったためなのだ。さらに先輩

医師たちが、その蘇生術を自分たちが行うべき当然の行為として、なんの疑いも持たずに

真剣に取り組んでいたために、その真剣さに心打たれてしまったためでもあった。

 だが、この死との闘いである蘇生術の中で、本来闘うべき主人公はだれだったのだろう

か。それはもちろん、いままさに死に瀕している患者のはずだ。ところが、蘇生術の最中、

一生懸命頑張って死と闘っているのは医者と看護婦だけで、臨終間近の当の患者は、すで

に闘いのときを終え、ようやくたどり着いた、深い安らぎの世界に入ろうとしているとこ

ろなのだ。

 だから明らかに死の見えた患者への蘇生術は、患者が安らぎの世界に入ることを、強引

に妨げているだけでしかない。医療側がかってに患者の体を死との戦いの戦場として使い、

そして敗走する。逃げる者たちはたいして傷つかず、戦場だけが荒廃するようなものなの

だ。

 それら蘇生術のほとんどが医療側の一方的な意志であり、行為に過ぎなかったし、いま

思えばそれらはただ医療側の自己満足にすぎなかったのだ。太刀打ちできなかった病気に

対する最後の抵抗を示すことで、患者へではなく、家族へのせめてもの誠意を見せようと

するみせかけの行為だったのだ。そして実際は家族の意見など聞くこともなく、一方的に

行っている蘇生術であるから、家族の思いすら踏みにじっていることが多かったのだ。

 主役は死んでいく患者で、それを見守るのは家族や親しい者たちであるべきだったのに、

医療者は、患者とその家族にとって最も厳粛で最も人間的であるべき最後の別れの場に、

ようやく出番が回ってきて張り切っている三文役者のようにわが物顔で登場し、最もたい

せつであるべき時間の大半を、しかもある意味では残虐な行為でしかない蘇生術を行うこ

とで奪っていたのだ。

 汗がしたたり落ちるほどに頑張り、疲労困憊するほどに頑張った行為のあとに感じてい

たむなしさは、負け戦を戦ったあとの虚しさだったのではなく、一方的に自己の意志を押

し通しつづけ、結局、自己満足でしかなかった行為のためだったのだ・・・・


以上 病院で死ぬということ 山崎章郎 (主婦の友社)平成2年 より


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 文中のその本とは、「死の瞬間」 エリザベス・キューブラー・ロス(2004年没)

です。著者はすでに亡くなっていますがスイスの精神科医です。僕も彼女の本をずいぶん

読みました。キューブラー・ロスや、オランダの医師、ベルト・カイゼル著「死を求める

人びと」のこととか、その他もっといろいろ書いておきたいと思っていますがそのうちに




       

       帰り道、缶ビールを飲みながら久しぶりに荒川の土手を歩いた



                          ・・・やっぱりクライ?      2013年10月

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