火 の 鳥 体の大きな問題を感じることなく今年もまた桜を眺めることができた。 桜が咲く季節に死んだ父親の生きた時間よりも 、今年で14年長く自分は生きている。その間どのくらいの人達 との別れがあったろうか。親、親戚、友人、知人、仕事の先輩や仲間たち。生きて年を重ねるということはすな わち、そういう別れを積み重ねるということだが、確たる根拠もなく自分だけはまだ当分こっちにいるつもりで いる。 昨年は自分より三才年下の友人が今年高校生になる一人娘を残して逝ってしまった。 何故彼は死なねばならなかったのだろう。体はきわめて頑強な男だったのに。 何故、なぜ、ナゼ?といくら考えても納得できる合理的な理由などみつからない。彼自身、息を引き取る間際に も自分が死ぬとは思っていなかった様子だったという。困難にあってもけっしてあきらめないタフな男だった。 おそらく自分も含めてほとんどの人々は確かな裏付けもなく、自分の死はまだずっと先の話だと考えている。人 は永遠に生きることは出来ないと知ってはいても自分の死にリアリティをもつことは難しい。もっともそんなも のを感じる必要もないのかもしれない。 しかし、自分の場合は死にリアリティを持ちながら生きていきたいと願っている。それを感じることで、自分 がもう少しましな人間になれるのではないか、という思い込みがあるからだが、当然そんな悟りを得ている筈は なく相変わらずの間抜けな自分でいる。(クレイジーキャッツの歌で、馬鹿は死んでもなおらない、という大好 きな歌もあるが・・・) いつもの道 今年も見事に咲いた 人は大昔から、経験上、生あるものはいつか死を迎えるのが避けがたい自然の摂理だと知っていた。しかし同 時に、永遠の命を手にいれる事をいつも夢みてきたのではないだろうか。その夢は科学を手にした時から、実現 可能な夢ではないかと真剣に考えるようになったに違いない。少なくとも、可能なかぎり死を先延ばしにするた めの様々な発見とその具体策を次々と手にしてきた。 江戸時代の平均寿命は50歳だったという。たしか昔の歌に、ことし六十のお婆さん・・・という歌があった。 60年生きれば立派なもんだったのだろう。現代であればそれより20年くらいは長い時間を生きられると考えるの が普通の感覚ではないか。それだけの生きる時間の延長を許したのは間違いなく科学の力であって、その力は、 衛生状態を改善させた知識や技術であり、ペニシリンをはじめとする感染症に対する特効薬である抗生物質の発 見など、様々な医学・科学の力によるものだろう。 しかし、ここにきてその長寿をもたらした科学・医学への過度な依存体質が化学物質による汚染や薬害をもたら して今度はわれわれの足を引っ張ってもいる。 けれども、相変わらず人は科学に夢を見ているし、期待もしているのだろう。新しい医学の発見や画期的な医療 技術のニュースはいつも大きな注目を集めて、治療困難な病気の治療に道筋がついたと報道される。実用化はまだ 先の話であるにも関わらず、すぐにでもそれが実現するかのようにマスコミの報道は先へ先へと先走る。 実際のところ、 ES細胞、ips細胞、STAP 細胞などの分子生物学の発展は遺伝子操作による再生医療技術の発展 へとつながり、人が生命をコントロールできる日が近いのではないかという錯覚はリアリティをもって人々の興 味を煽り、ニュースの視聴率を高くする。自分が生きている内にもっともっと進んで欲しいと。 そんなニュースを目にする度に、不老不死は絶対的理想であるというその意思は暗黙の了解として、間違いなく 存在している。と思ってしまう。人間はけっしてそれをあきらめてはいないと。 もっと医学がすすんでいたら、父親は小学生の子供を残すことの無念を感じながら死ぬことはなかったかもし れない、年下の友人も一人娘の高校の入学式をその目で見ることができたかもしれない、と考えてしまう。 せめてあと少し生きていて欲しかったと思う。その思いはつまりは死をコントロールしたいという欲求ではない か。そしてその欲求こそが医学の進歩を現時点まで引き上げたのだろう。 しかし人間はそのコントロールをどこまで追求したいのだろうか。 自分の、または愛する人の死が避けられる方法さえあればどこまでいっても、それを避けたいと願うのではない か。まして再生医療の可能性が「若返りも夢ではない」と言うのであれば。 昔読んだ手塚治虫さんの書いた漫画「火の鳥」は永遠に生きる事を望み、それを手にした事で、`生き続けな ければならない事の苦悩' の物語ではなかったか。科学がそれを現実に手にしたとき、その物語のようにやっ ぱり人は新たな苦しみを背負ってしまうのだろうか、それとも究極の幸せを手にすることになるのか。自分ごと きガラクタ、ボンクラに分かる筈もない。 お気に入り 公園の木 今年で58才になる。健康のために特に意識していることはないが、いつの頃からか、トイレで用をたした後に 自分の体に手をまわして、「ありがとう」と体に感謝の言葉を呟くことはよくやっている。それが何かの役に立 つ事を期待してそんな事をしているわけではない。愚かな自分に飽きもせず付き合ってくれる体に対して、労を ねぎらって感謝するという気持ちでやっている。それが健康を保証するものではないことは、一昨年の暮れに尿 管結石で七転八倒の苦しみを味わったことであきらかだけれども、しかし、それでもやっぱり自分の体ほど感謝 の対象としてふさわしいものはないのでは、と思う。 健康でいらるれることは、自分の心がけすべてで完全にコントロールできるものではなく、時代、環境、偶然、 縁、奇跡が重なって成立しているというのが本当のところではないか。自分の努力の範囲外の要素が大きく関わ って今生きていることができているのであれば、感謝するほかない。 陶芸家の兄の所に行った、 山の中 春、仕事帰りの晩。ふと見上げると、闇夜を背景に街灯に照らされて淡い光を放っているほぼ満開の桜に気が 付いた。桜の花を見るたびに、ひねくれた自分はハカナイ気持ちを感じてしまう。素直にただそのうつくしさに 浸ればいいのに、ハラハラと散って逝くからこそ桜は美しいのだと、屁理屈を考えてしまう。 かつて日本を戦争へとミスリードした支配層は、そんな日本人の美意識を利用したのだろう。古い軍歌を知って いる人ならば思いあたるにちがいない。 同じ死ぬのでも病気で死ぬのと戦争で死ぬのとでは納得の仕方が随分とちがうような気がするが、どうだろうか。 2014年4月