自分で作った弁当はうまいのだ(写真付き)   



 作家の田口ランディさんは縁あって、ある死刑囚の方と文通をしているそうです。

想像の通り、刑の重さからして文通の相手は人を殺めた、つまり殺人犯ということのようです。

拘置所では外部との連絡に自由はないだろうと想像はしますが、やはりメールなどという近代文明の便利は許されていな

いそうです。人の手で運ばれる郵便配達の文通である事にくわえて、拘置所を出入りする手紙は、受けるにも、出すにも

検閲が入るので、時節の話題を書いてもどんどんズレが生じるのですが、それままた風情に感じられるようになった。ま

た、便箋につづられた文字を読むとき、相手の息遣いが伝わってくる。 と書かれています。




   *****************************************************************************************************


〜交流を始めた最初のころは「なぜこの人はこのような大罪を犯したのか」と思っていた。自分には信じられないことだ、

と。 だが7年もの間、文通を続けるうちに、人間というものはほんとうに弱い存在で、ちょっとしたはずみがはずみを

呼び、転げ落ちるように気持ちがすさんでしまうことがあるのだなあと思うようになった。

ひとごとではなく、自分だって、うっかりつまずいた時に人からだまされたり、見放されたりしていたら、どうなったこ

とか、と。 こうして善人のような顔をして生きていられるのも、周りの人たちの助けがあってのことだ、と。忘れがち

な感謝の気持ちを思い出させてくれるのは、拘置所で執行を待つ死刑囚の友なのである。

 取り返しのつかないことがあるとしたら、人を殺めることだろう。他人の命を粗末に扱うことは自分の命を粗末に扱う

ことなのだ。

長い文通を通して、実感として「行いはすべて自分に返ってくる」ということを教えられてきた。

不信心でもあるし、死刑囚の方と出会わなければ、自分の心の奥の闇など見なかったと思う。

「生活するということが一番大切で尊いことだと思う」と手紙に書かれていたことがあった。もはや二度と外の世界にで

ることも、木々や花に触れることも、いとしい家族に触れることもかなわない者の言葉は身に染みる。炊きたてのごはん、

夕げのだんらん。世界と触れ合う自由。生きる喜びはあまりにささやかすぎるから、失ってみて初めて気づくのかもしれ

ない。


   *****************************************************************************************************




刑の執行をまつ死刑囚の方が、「生活するということが一番大切で尊いこと」と教えてくれています。

そしてまた、世の中には沢山の貴重な教えがあるだろうと。

しかし、人は知識として知ってはいても時期がこなければ理解できないことが山ほどあります。

子供の時から何度も聞いたはずの言葉であるにも関わらず、愚かな自分は親を失って初めて「親孝行したい時には親はな

し」という格言を理解しました。

取り返しがつかないことになる前に胸に刻んでおかなければいけないことは確かにあるのでしょう。

しかし、田口ランディさんの言うように、失った時に初めてその輝く光に気がつくのかもしれません。



 そして、 「行いはすべて自分に返ってくる」 ・・・






             数年前から弁当を作っている。自分の食べる昼メシ。


               

            
            自分の作った弁当は何故か、とてもうまい!







                    生きる喜びはあまりにささやかすぎるから       2014年 7月





目次にもどる