つっかえ棒  



 相変わらず、坦々とした日々を過ごしている。

変わらぬ毎日を過ごすことが出来る幸せ。

「ありがたいもの」は気がつかぬように、いつもそこにあるのだろう。そして自分にとっての

「ありがたい人」も、おなじように。

再会した時に、「ありがとう」 と、「ごめんなさい」を言わねばならない人がまた一人あっ

ちに逝った。


 2月に義理の母親が亡くなった。その母は物心つく前に母親を亡くし、兄弟姉妹で戦後の混

乱を生きぬき、結婚してからは自身の病気とも闘いながら夫の親戚をも含めた大家族を支えつ

つ二人の娘を育てあげた。

80を過ぎて治る見込のない病状となった。苦痛を伴う治療よりも、痛みをコントロールしな

がら日々を過ごすことをめざすケア優先の医療をしてもらえる病院に受け入れていただきお世

話になり、87年の人生を全うした。

息を引き取る際には、電子音のする機械などにつながれることもなく、二人の娘と母の三人の

親子で静かに別れをすることができた。お世話になった病院と医師、スタッフには感謝するほ

かない。

カミサンとその妹は約1年に亘ってその母の介護と病院での付き添いを毎日続け、何度も母親

の側で朝をむかえた。それぞれの家族も皆で支えて母親を看取ることができたのではないかと

思っている。

しかし、その親への感謝を、相手が生きている内に自分はちゃんとしてきたか。孫が出来たの

はいいが、安定した職を捨て不安定な自営業者になってしまった婿殿の危うさに、一言も言わ

れたことはないが自分の娘はとんでもない夫を持ってしまったと嘆いていたに違いない。そん

な心配をかけ続けててきたことに「すみません」と心の中でつぶやきながら、後ろめたさを埋

め合わせようと仏壇の前で般若心経など詠んでみても、すでに遅きに失している。



       

   自宅から1分で荒川の土手に上がることができる。大きな空に会えるシアワセ




 これでカミさんも自分も、共に両親をなくしたことになる。「親父もお袋も、もういないの

か・・・」と考えた時にふと感じるのは、自分を支えていた 「つっかえ棒」 がなくなった。

という感覚である。そんなふうに思わせてくれる親であったことのありがたさをしみじみ思い、

せめて逝った人の人生に思いをはせている。

                                      2014年 5月



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