国語 〜灰色の現実世界を生きるために〜 2/2  



次回の続き


 

        「  祖国とは国語  」  藤原正彦    新潮文庫




  藤原さんは、数学者であるにもかかわらず、教育の中心には「国語」があるべきでそれが最

も重要だ、という。今の日本にとって国語の力を磨き育てることが国家の浮沈に関わる問題だ。

と書いている。

〜アメリカの大学で教えていたときに、数学の力では日本人にはるかに劣る向こうの学生が論

理的思考については実によく訓練されていることに驚いた。日本人学生がアメリカ人と議論に

なって、語学的ハンデを差し引いてもまるで太刀打ちできずにいる光景に何度も出会った〜

という。


以下に藤原さんの主張の概要をまとめる。



●国語はすべての知的活動の基礎である

・国語はもちろん、理科や社会、数学でさえも読解力なくして解を導くことは出来ない。国語

は思考そのものと深く関わっており、言語は表現する道具だけにとどまらず、言語を用いて思

考するのだから。



●国語は論理的思考を育てる。

・日本人は数学が得意でも、論理的思考や表現が苦手である。


・数学を学んでも「論理」が育たないのは、数学の論理が現実世界の論理と甚だしく違うから

で、数学における論理は、100%の真か100%の偽で、真白か真黒である。(そこには公理とい

う万人共通の規約があり、そこからすべての議論を出発できる「前提」がある。)


・しかし現実世界は絶対的な真も絶対的な偽も存在せず、「すべては灰色」である。現実世界

には公理はなく、すべての人間がそれぞれにそれぞれの公理を用いるといってよい。従って

「現実世界の論理」とは普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、というきわめて頼

りないものである。


・そこでは思考の「正当性よりも説得力のある表現」が重要で、すなわち「論理」を育てるに

は、数学よりも、筋道をたてて表現する技術の習得のほうが重要である。



●国語は情緒を培い、情緒が様々な判断の出発点となる。

・上で述べたように、「現実世界の論理」は、数学とは違い正、偽の区別がつきにくいもので

あるが、出発点となる前提として妥当なものを選ばなければ前に進めない。


・この出発点の前提は通常。情緒による。その人間がどのような親に育てられたか、どんな先

生、友達に出会ったか、そんな本を読み、どんな恋愛や失恋や片思いを経験し、どんな悲しい

別れを経験したか、といった体験を通して培われた「情緒」により、様々な判断の出発点を選

択している。「灰色の道の選択」の判断は情緒によるところが大きい。


・現実世界の論理は、十全の情緒があって初めて有効になる。これの欠けた論理は我々がしば

しば目にする、単なる自己正当化にすぎない。


・ここでいう情緒は、喜怒哀楽のような原初的なものではない。それなら動物でももっている。

もっと高次のものであり、それを身につけるには実体験では足りない。


・たとえば、美しいものに感動することや、他人の悲しみをも悲しむという感受性も高次の情

緒で、そういった時空を超えた世界(体験することがかなわないこと)を知ることは、文学・

芸術・歴史・思想・科学といった、「実用に役立たぬ教養」が必要で、それらは読書に頼らざ

るをえない。すなわち、まず国語なのである。


・これらの情緒は一般に考えられているよりもはるかに重要で、数学者にとってもこれは最重

要といってもよい。美感や調和感なくしては研究の方向性を失うし、その美しさに感動しなけ

れば、そもそも研究する気になれない。あらゆる学問がそうであろう。



●ナショナリズムとパトリオティズム

・世界は一様化されつつある、その様な中で各国、各民族、各地方のアイデンティティーをし

っかりと確立しておかないと、ボーダレス社会の中で多様性が失われてしまう。


・国の単位であればアイデンティティーとは祖国であり、祖国愛である。祖国の伝統、文化、

自然を愛するという意味である。愛国心に近いが、愛国心は歴史的経緯もあり、ナショナリズ

ムをも含む場合もあるから、私は祖国愛という言葉を用いる。


・英語では、自国の国益ばかりを追求する主義はナショナリズムといい、ここでいう祖国愛、

パトリオティズムと峻別する。ナショナリズムは邪であり、祖国愛は善である。政治家がある

程度のナショナリズムを持つことは必要なことだが、一般国民にとって、ナショナリズムは不

必要であり危険でもあるが、パトリオティズム(祖国愛)は絶対不可欠である。わが国語にこ

の二つの峻別がなかったため、戦後諸共に捨てられてしまった。ここに日本の不幸がある。


・祖国愛や郷土愛の涵養は戦争抑止のためにも必要で、自国の文化や伝統や故郷の自然を思い

涙する人は他国の人々の同じ思いをもよく理解できる。このような人はどんな侵略にも反対す

るだろう。


・祖国の文化、伝統、情緒などは文学にもっともよく表れている。国語を大事にすることを教

育の中軸に据えなければならない。





 藤原さんの主張は以上のようなものだった。

教養が情緒や論理を主張する力を育て、さらにナショナリズムとは異なる他者に思いを寄せる

ことの出来る祖国愛を育てるのなら、自分の視界の狭さを改めて自覚するほかない。


 コミュニケーションを無視して世間は渡れない。言葉を使うべき時を見極め、さらに、適切

なそれを拾い上げることが出来るかどうかは誰にとっても大きなテーマではないだろうか。

自分の未熟からだが、言葉ほど不確かなものはないと常日頃思っている。できるだけ言葉を使

いたくない、という気持ちもある。そういう意味では自分のやっている仕事は言葉はわき役で

あるからありがたい。以前にしていた運送という仕事も、ひとりで車を転がす仕事だったから

気にいっていた。しかし、無人島で暮らすこともできない以上、言葉によってでしか救われな

いことがあるということも知っている。



 

土手に上がった。夕焼けがきれいだったから




 〜なにかを生みだすためには、言葉がいる。はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が

誕生するまえの海を想像した。混沌とし、ただうごめくばかりだった濃厚な液体を。

ひとの中にも、同じような海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生ま

れてくる。愛も、心も。言葉によって象られ、くらい海から浮かび上がってくる〜

        「  船を編む  」  三浦しをん    光文社 より




  それにしても、足りなかったり、適切でなかったり、余計だったりするのが常なのである。

                                                                2015年9月



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