Iam : because of you 




 友人に勧められて、久しぶりに映画を見ました。

もっとも映画館ではなく、TSUTAYAで借りて家で観たのですが、ふと考えてみれば、 旅行やら

映画館やら、たぶんもう10年くらい行ってないような気がします・・・それはどうでもいいの

ですが、グッド・ライ、いい映画でした。


グッド・ライ 〜いちばん優しい嘘〜

あらすじ

 カンザスシティーの職業紹介所で働くキャリーは、南スーダンの難民収容所から到着した3

人を空港まで迎えに行く。彼らは内戦で両親を亡くした、“ロストボーイズ”と呼ばれる難民

たち。キャリーに与えられたのは、電話を見るのも初めてという彼らを就職させるというあり

えない仕事だった。車に乗せれば一瞬で酔うし、牧場を見ると「猛獣はいますか?」と聞く、

マクドナルドもピザもスーパーも信号も知らない彼らにキャリーはうんざりしながらも面倒を

みる、やがて彼らの困難と人生感や生き方を知り、共感する気持ちが芽生えていく・・・


あんまりいい映画だったので、エンドロールに以下の言葉を発見した時、思わず書きとめまし

た。


   if you want to go fast, go alone,

   if you want to go far, go together,

   African Proverb


   急ぐなら一人で行け

   遠くへ行くなら一緒に行け

   アフリカのことわざ


ひとりなら自分で決断できるから、急いでいるのなら物事は早く進む。

誰かと一緒なら、励ましあったり助け合ったりして、より遠くまで行くことができる。

ひとりはひとりなりに悪くない、でも遠くに行くなら誰かと一緒のほうがいい、ということの

ようです。


20年以上前にサラリーマンを辞めた時は、これからの自分の仕事は他者との関係をできる限り

「薄く」していこうと思いました。もちろん無人島で生きてきた訳ではありませんから、それ

なりに様々に他の人との関係性を保ちながらやってきましたが、誰かと遠い場所に向かって一

緒に苦労して歩き、その果てに大きな喜びというものを共有する、という仕事はしてきません

でした。おそらく、これからもとくにそんなことはなく人生を終わるのだろうと思うのですが、

しかし、カミさんとの関係で言えば、このアフリカの諺の通りになっているのかもしれないな

と思ったりもするのです。


 ところで、この諺に触発されて、少し興味をもってアフリカの言葉を調べてみたのですが、

ジャンボ(こんにちは)

アサンテ(ありがとう)

カリブ(どういたしまして)

これらはスワヒリ語とのことで、何度か聞いたことがあります。

それらの言葉の中に、意味は知らくても個人的に日常的に接していた言葉を見つけて注目しま

した。それは 「 ウブントゥ Ubuntu 」 という言葉です。


 何故この言葉を知っていたかというと、自分の音楽専用のコンピューターのOSに利用してい

たのが、Linaxベースの Ubuntu というものでした。このOSの名称であるウブントゥという

言葉が何を意味しているのかは知りませんでしたが、今回はからずもその背景を知ることにな

りました。


 Ubuntu というOSは、Windows や Mac OS のような商用のOSと異なり、利潤を追求せず、

無償で開発に手を貸す人々の協力により提供され世界に普及しています。

このOSの開発・創業者が南アフリカ出身であることからこの名前がついていたのでした。

企業の商業的な動機や独占に対して、人々の協力よって社会で共有されるコンピューター環境

のインフラであるOSを提供していこうとする画期的な試みです。


一時期、自分のコンピュータ環境が企業の利益追求のための仕様変更に翻弄され右往左往する

ことにうんざりした気持ちになった時期があり、この Ubuntu というOSを利用していました。

ボランティア精神に富む優秀な技術者達がいることに感謝しつつ、そのOSを使わせてもらって

いたのです。

「ウブントゥ Ubuntu」という言葉の意味ですが、アフリカの多様な言語のうちのひとつであ

るズールー語で、

	Ubuntu = Iam: because of you

	あなたがいるから私がいる

	自身の人間性というものは、他者との交流によってのみ体験できる。

	子供がいるから親になれる、生徒がいるから先生になれる。

	自分というものは、他者によって生かされるのだから、

	喜びや幸福を分け合い、苦労や苦しみを共有し、助け合うのは自然なこと。


という、「他者への共感」や「思いやり」、を意味する言葉なのでした。




 映画グッド・ライは南スーダンの内戦から始まる物語です。ただ平和に暮らしているだけの

人々がなぜ殺されなければいけないのか? なぜ難民になってしまう人々がうまれてしまうの

か? 映画はその理由を説明はしていません。それを理解しようとすることは映画を見た人の

問題ですよ、と言っているようです。

宗教や民族間の対立、利権争いなど、難民問題のニュースを見ると、人間の愚かさを強く感じ

て悲観的になります。しかし、グッド・ライで描かれる人々や、アフリカの諺や、OS「Ubun

tu」の理念に触れると、・・・世の中はそりゃあヒドイもんだけど、そんなに捨てたもんでも

ないな・・・という気持ちにもなります。人はそういうことに時々ぶつからなければ、娑婆を

生きていくのはつらいことなのではないでしょうか。



 映画の舞台、南スーダンはアフリカのほぼ中央に位置しています。その南スーダンの内戦状

態は現在も続いており、日本の自衛隊が、PKO(peacekeepingoperations 国連平和維持活動)

にもとずく関連法案により派遣されています。利権や民族対立による内戦は深刻で、自衛隊の

活動は困難を極めていると報じられています。


映画を見て、南スーダンの位置が気になりました。アジアやアメリカやヨーロッパならなんと

なく分かっているつもりですが、アフリカとなると、国の名前は聞いたことがあっても、アフ

リカのどのあたりにあるのかが、さっぱり分かりません。下に Google Map を貼りつけました。








※地図の +  - のところをクリックすることで拡大/縮小ができます。便利ですね。



 こうやって世界の地図を眺めていると世界は広いなあと思います。

と同時に、日々目にする世界のニュースと考え合わせれば、交通・情報・経済・政治・文化、

あらゆる面で世界は緊密に繋がっているのが我々の生きている時代です。

日本の地政学的位置ということもあるとは思いますが、狭い世界の中で自分はノーテンキに生

きています。しかし、テロ、内戦、難民問題、環境問題・・・世界のニュースは我々に、混沌

として、漠とした行き場のない不安を与えています。

 映画グッド・ライが描いたような、またアフリカの言葉やコンピューターOS「Ubuntu」に

見るような「協力を基礎とした世界」や「他者への共感」や「思いやり」というような理念の

力こそ、我々の行き場のない不安を取り除くのに必要なものではないでしょうか。

人は本来そのような感情を抱えて、この星で生きていく生き物であると信じたいです。



    エラそうに大風呂敷ひろげたようです。すみません     2016年 4月



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