民主主義サイコー・・・?



この夏は参議院議員選挙があり、実はこれを書いている本日が参議院議員選挙の投票日です

(仕事があるので期日前投票ですでに投票をすませました)。

参議院議員選挙だけでなく、不祥事が明らかになったことで任期途中で辞職した都知事の選挙

もこの後すぐに控えています。

 国外では、世界中の注目を集めたEU離脱の是非を問うイギリスの国民投票がありました

(結果イギリスはEU離脱となりました)。

 それらの経緯はマスコミでも大きく取り上げられていますが、そのことだけに関わらず、近

頃は政治的なニュースに接する度に「民主主義」というものについて頭をかすめる事がありま

す。

  直接的な国民投票は言うに及ばず、選挙によって政治家を選び、その結果を民意であるとし

て政治が行われるのが民主主義であるなら、自分を含めた大衆がそれだけの判断を下すだけの

「準備」をしたうえで「民意という大義」を確信をもって示しているのだろうかと。


  都知事の不祥事の件で言えば、辞職という形になったけれども、その責任を取らねばならな

いのは、とどのつまりは彼を担いだ多くの都民ではないか、という気がしてなりません。さん

ざんバッシングされましたが、その責をすべて都知事本人に負わせてそれで我々は安心してい

るようです。

我々は騙されたのであるから、騙した本人が悪党なのであってその悪党をとことん追求して辞

めさせた・・・そこで安心していていいのかと。



 民主主義は、選挙によって政治に専門でない我々一般大衆が専門家を選び政治を委託する、

そして市民は日々の仕事や生活に専念する。それが民主主義というものだと理解していますが、

民主選挙によりナチスが第一党になりヒトラーが台頭したのだとすれば、民主的選挙が必ずし

も最良の結果を生じるという訳ではないようです。

今回の、公金の私物化の問題で辞職した都知事も民主的選挙で多くの一般大衆が彼を選んだ

ということを考えれば、民主主義に欠陥があるということではないかと考えてしまうのです。

イギリスのEU離脱という国民の選択についても、一般の大衆がそれなりの「準備」と「確

信」をもって結論がなされたものなのでしょうか。まして意見は拮抗してほぼ半々に割れた状

態で、民意はハッキリと示されたのだ、と言えるのだろうかと。



  そんなことを思っていたら、ずいぶん前に古代ローマ史の研究家で作家の塩野七生さんが書

かれていたものを思い出して、捨ててしまったかなあと思いながらそこいらを探してみたらた

またまあったので再読してみました。


 以下に引用させていただきます。


 
再び男達へ /塩野七生 /文春文庫



 ・・・人事の制度だが、トップ人事にかぎるとすれば三つに分けられると思う。


 一・君主制。決めるのは一人、という意味である。


 二・貴族性。長老間での選考の制度、と言い換えてもよい。要するに、上位にある者たちが

そのなかの一人を選ぶ制度、という意味である。


 三・民主制。説明も無用と思うが、上も下も一緒に全員が一人を選ぶ方式だからデモクラ

ツイアである。


  人間の為すすべての事柄には、金貨にも裏表があるのに似て、長所と短所がある。


 君主制の長所は能率の良いことだが、短所は世襲人事になりやすいという点だろう。

 我が子を後継者にしたいという想いは、リーダーにとってはセイレンの歌声にも似て抗しが

たい誘惑のようである。


  貴族制となると、世襲人事という弊害は避けられるし、その道のプロ達が集まって決めるの

だから人選もひどい誤りを犯さずにすむという利点があるが、これまた欠点がないわけではな

い。なにしろ複数なのだから、複数の人間が集まるところ必ず派閥が生まれるのは、人間社会

の現実である。それゆえ、この制度下での人事は、派閥力学を反映したものになりやすい。公

選とは呼ぶものの、「公」の割合たるや怪しいものなのだ。


  民主制の長所は、より広い民意の反映と言ってよいだろう。しかし、これにも短所はあって、

声高に叫ぶ図々しい人間に左右されやすいということだ。デマゴーグに牛耳られる度合いは、

投票権をもつ人間の多少となぜか正比例の関係にあるようである。アメリカの大統領とて、上

下両院中の最優秀者が選ばれるとはかぎらないのである。



  ちなみに、これらの制度も運用を誤ると、たちまち別の名で呼ばれるようになる。君主制は

独裁制、貴族制は寡頭制、民主制は衆愚制というように・・・




                再び男達へ /塩野七生 /文春文庫より





  もちろんニュースを見ていれば、地球上には様々な体制の国が存在していることが分かりま

す。しかし、少なくとも今自分の生きている社会では、民主制が統治のための方法としては最

良である、ということになっているように見えます。

しかし、先に書いたように、民主選挙によりナチスが第一党になりヒトラーが台頭した、とい

うことであれば、民主主義(民衆)も取り返しのつかない大きな間違いを犯す可能性があると

いうことなのでしょう。塩野七生さんが書いているように、それもまた完璧な制度とはいえな

いのであれば、では他にもう少し良い制度があるのでしょうか? それとも、そもそも「完璧

な制度」などはじめからない、ということなのかもしれませんが・・・





 政治の話をすると、とかく「善・悪」の話になります。自分は善悪の話は苦手です。「好

き・嫌い」なら自分のことだから判るのですが。「善・悪」になると自分の判断が必ずしも妥

当なものであるかあやしくなる上に、ややもすると、他人を傲慢に「巻き込んで」いくことに

なるように思います。自分達の「善・悪」を主張することで衝突がおきることは人間の歴史を

見れば明らかなことです。善のウラには悪が潜んでいるいることも、悪のウラには善が隠れて

いるかもしれません(しかしそれを規定しなければ人間は前に進めないのかもしれませんが)。

そんなことを考えると善・悪を判断することは簡単な事ではないと怯んでしまいます。



 善悪の判断を決定するのが政治なら自分は政治家にはなれません、せめて自分が「好まし

い」と感じる政治家を選び投票することしか出来ません(その結果は自分で受け止めなければ

なりませんが)。

そんなことを考えつつ、民主国家に生きている以上、これからも自分なりに考えて選挙には必

ず行こうと思っているところです。
                               2016年 7月





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