「 知らない人生を知るということ 」




【 2017年の正月を迎えた。】


 12月はありがたいことに、30日まで仕事があり、31日から3日までは連休となった。

仕事が入ればそのつもりでいたが、幸か不幸か4日連休となった。仕事が無く、休みになると

喜んでしまうナマケモノの駄目な自営業者である。


 31日はカミさんとユニクロのセールに行き、靴下、パンツなど買って帰り、年越し蕎麦を食

べ、10時前には寝た。ここ数年、大晦日は紅白など(4分の1くらいの出演者は分からない)見

ることもなく、いつものように寝てしまった。

最近は昔のように、サアお正月だ!新しい希望の新年が来るのだ!めでたい!、というような

ワクワクした気分を感じることはない。世の中のせいだろうか、自分のトシのせいだろうか。


 昨年はめでたくカンレキになった。自分のような人間が還暦になって大手を振って生きてい

るようでは日本もあやういのではないかと思ってしまうが、なってしまったものは仕方がない。

せめて人様に迷惑にならないようやっていこうと思う。




  元旦は、朝から風呂などに浸かり、家族で日本酒で新年の挨拶を交わし、カミさんの雑煮を

食べ、天気が良かったので、布団干しや掃除などした。

2日は箱根駅伝の往路で一杯やり、

3日は箱根駅伝の復路を少しだけ見てから、荒川の土手をジョギングした。久しぶりの荒川土

手のジョギングは、風もなく穏やかで暖かい日差しだった。

4日からは通常の仕事モードに入った。



             荒川土手と河川敷


      


  


       


  


               これ以上ない、平和な気配である。





 事あるごとにこの場所に書いていることだが、正月を迎えて思うのは、父の生きた時間より

も長い時間を生きている、という不思議である。

大正最後の年に生まれた父は茨城の山間部に生まれ、戦争中は満洲の機関車乗りとして服役し

た。終戦時には3日3晩機関車に石炭をくべて引き揚げ者を運んだという。無邪気な子供は戦争

の時にひとを殺したことがあるか、と父に問うたような気がするが、その問いに父ははっきり

とは応えなかったような気がする。

戦後は東京にあった製薬会社のボイラーマンとして働いた。結婚して家庭を持ち、12歳と15歳

になる子供とその母親を残して44年間の人生を閉じた。その時12歳だった自分は昨年60になり、

理由は分からないけれども、父の生きた時間より16年も長く生きている。

父は、息子が成人して酒を酌み交わす日が来ることを夢みていたが、かなわなかった。その夢

を自分が父親となった今、代わりに実現する事が出来たのは、死んだ父親がそうさせてくれた

のかもしれない。


 なんどかここに書いてきたけれども、灰谷健次郎さんの詩。




【 あなたの知らないところに いろいろな人生がある 】


あなたの知らないところに

いろいろな人生がある

あなたの人生が

かけがえのないように

あなたの知らない人生も

また  かけがえがない

人を愛するということは

知らない人生を知るということだ      


          灰谷健次郎




  その父の人生を、もう少し記憶にとどめておくことが出来たら良かったのだが、今では色あ

せたセピア色の写真がわずかに残っているのみである。



 人の人生ほど興味深いものはない。それは時空を超えて、後にも先にもない、オンリーワン

の物語である。 語りたい人生もあろうし、語りたくない人生もあるにちがいない。

灰谷さんの書かれたように、それを知ろうとすることは人を愛することの方法のひとつなのだ

ろうと思っている。


              2017年  1月  正月



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